2014年、吉田拓郎は妻と一緒に食事を楽しんでいた
《この夢が叶ったら、吉田拓郎の音楽人生すべてからのリタイアが決まる》
それは、ラストアルバムの制作。そしてその最後の夢の協力者として指名されたのが、KinKi Kids(以下、キンキ)だった。
焼肉店とハワイロケ
吉田とキンキの交流が始まったのは25年前に遡る。『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系、以下、『LOVE2』)での共演がきっかけだった。当時、キンキはアイドルとしてのデビュー前の10代で、一方の吉田はすでに50才のベテランミュージシャン。化学反応が起きれば最高だが、起こらなければ、最悪だ。
「開始当初、拓郎さんを番組に誘ったプロデューサーのきくち伸さんは頭を抱えていましたよ。結局、化学反応は起こらず、拓郎さんはブスっとしたまま。拓郎さんは胸ポケットに辞表を忍ばせて収録に臨んでいたという伝説が残るほど、収録を嫌っていましたね」(テレビ局関係者)
しかし、吉田とキンキは意外な場所で急速に仲を深める。
「3人をはじめとした出演者、それからスタッフで焼肉に行ったことがあるんです。そのとき拓郎さんはこの番組を辞めたくて仕方ない様子で、終始イライラモード。その空気を“壊した”のがキンキの2人だったんです。
剛さん(41才)が肉を吉田さんのご飯の上にのせて『食べなはれ』と言えば、光一さん(42才)がビールを注いで『飲みなはれ』と言って。まるで年上が年下に見せる包容力を見せた。2人の魅力が、拓郎さんのプライドに勝った瞬間で、そのときから距離が縮まったのです」(番組関係者)
光一は後にインタビューに答えて、吉田を《ナイーブな、乙女のような人》と評している。直接「一緒に頑張りましょうよ」と、言葉にするよりも、その方が吉田の負担にならないと、自然に感じ取っていたに違いない。
さらに、吉田がギターを2人に教える企画では、忙しい時間を縫って、吉田が出した課題を必ずマスターして次の収録に来る。そんな真面目な姿に、“最近の若者は……”という思いは消え、尊敬の念すら芽生え始める。30才以上年の離れた者同士が確実に心を通わせたのは、番組開始から半年のタイミングでハワイにロケに行ったときだった。
「スタジオ収録に辟易していた吉田の鶴の一声で決まったハワイロケには、多忙なキンキの2人以外に、拓郎さんと交流のある泉谷しげるさん(72才)や、奥さんの森下さんまで参加するのびのびとしたものでした」(前出・番組関係者)
夜には降り注ぐような星空の下で、親子ほど年の離れた男たちは、時間が経つのを忘れ、さまざまなことを話し合った。その翌日のロケからは、誰の目にも明らかな一体感があったという。
「あのときは番組3本分を収録しました。予算的にはだいぶ思い切りましたけど、あのハワイロケがあったから、その後、4年間続く番組になったんです。師弟関係というより、対等にリスペクトし合う親友のような関係になったのだと思っています。番組終了後も、メールでのやりとりをするようになったそうですよ」(前出・番組関係者)