1986年の『男女7人夏物語』制作発表。右から3番目が大竹しのぶ、その左が明石家さんま
いきなり3才の子の父親になる気持ち、わかりますか
2人が仲を深めたのは、大ヒットドラマ『男女7人夏物語』(1986年放送、TBS系)での共演だ。当時、しのぶはTBSの敏腕プロデューサー・服部晴治さんと結婚していたが、ドラマをきっかけに、さんまと家族ぐるみのつきあいが始まった。
「がんで倒れた服部さんが、亡くなる直前、『しのぶをよろしく』とさんまさん宛てに手紙を送ったことは有名な話です。共演者として仕事面のサポートという意味だけでなく、妻子の将来を託したいという思いもあったのではないでしょうか」(番組制作関係者)
そして、1987年7月に服部さんがこの世を去ると、悲しみに暮れるしのぶをさんまが支え、さらに仲を深めていった。夜眠れないしのぶが電話をすると、さんまは深夜でも話し相手をしてくれたという。
《いま考えてみると、初めて会ったときから好きだったように思います》
入籍会見でさんまがそう語ったように、2人の熱愛は、さんまのひと目ぼれから始まったとされる。『男女7人~』で共演する以前、関西のワイドショー番組でしのぶと初めて対面したさんまは、「笑いのテンポ、間の取り方、空気を感じる能力、ベストの反応を選ぶ瞬間的早さ、どれをとってもほかの女優さんとは数段違いますよ。ほんとにすごい才能です!」と、しのぶの「笑い」の才能を絶賛していた(『週刊明星』1988年10月13日号)。
1988年9月29日に入籍すると、さんまはしのぶが服部さんとの間にもうけた長男である二千翔さんの父親となる。会見の翌日に生出演した『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で、客席から「お父さーん!」と声援が飛ぶと、「皆さん、いきなり3才の子の父親になる気持ち、わかりますか」と真剣な表情で投げかけた。
自身も幼少期に実母を亡くし、義理の母に育てられてきたさんまは、ステップファミリーの父として義理の息子と真摯に向き合う。
「まだ3才だった二千翔さんに気を使ったさんまさんが、『お父さん』ではなく『ボス』と呼ばせるようにしたことはテレビでも語られています」(前出・番組制作関係者)
結婚から翌年の1989年9月には、長女のIMALUが誕生。しかし、子煩悩で、「昔ながら」の家庭を理想とするさんまと、妻・母である以前に、生粋の「女優」であるしのぶとの間で、徐々にすれ違いが生じていく。当時をよく知る芸能担当記者が語る。
「しのぶさんは海外ロケで長期間自宅を留守にすることや、ドラマの撮影で帰宅が夜中になることも多かった。スイッチが入ると周囲が見えなくなってしまう“憑依型”の女優であるしのぶさんは、プライベートでも演技のことばかり考えて、家族と話していても上の空だったといいます」
別の記者も話す。
「IMALUちゃんの妊娠中、家事ができないしのぶさんのことをさんまさんは嘆いていた。自らスーパーへ買い物に行き、『いい男が買い物かごをぶら下げて、食料やらジュースやら、かごいっぱいに入れて歩くほど惨めなことはない』とこぼしていたそうです」
ジェンダー格差が指摘される現代なら瞬く間に炎上する発言であるが、いまもさんまが老若男女から支持される理由は、30年も前に“主夫”業をこなしていた経験があるからかもしれない。