自宅でバランスボールを使って運動する橋田さん(2014年11月)
「橋田さんは80才手前で狭窄症を患って2度の手術を受けてから、『また悪くなったとき、治療や延命で人に迷惑をかけてまで生き続けたくない』と思うようになりました。2019年2月には、豪華クルーズ船でベトナム航行中に下血して意識を失い、最寄りの病院でたくさんの管につながれて身動きが取れないまま集中治療を受けました。その際、『こんなつらい状態で生きるなら、死んだ方がましだ』との思いを一層強くしたそうです」(テレビ局関係者)
89才で「立つ鳥跡を濁さず」と胸に誓って終活に取り組むようになり、作品関係の資料や私物の整理を始めた。
「終活ノートをつけて、死に臨む際の注意点を書き残しました。真っ先に記したのは、『延命治療はしないでほしい』と、『葬式や偲ぶ会は行わず、死んだことは誰にも知らせないでほしい』ということで、遺産はすべて自身の財団に寄付する方針です。
いくつになっても死を恐れる人が多いですが、橋田さんは一切ひるむことなく、『世間に知られずに死ぬのが理想。私を偲んでくれるかたがいるとしても、心の中で思い出してくれるだけで充分よ』と語っていました」(前出・テレビ局関係者)
残された者に負担をかけることを避けるため、生前にお墓の準備をすませた。遺骨は愛媛県にある橋田さんの両親のお墓に納められる予定だ。
そしてもう1つだけ──。
「ご主人と橋田さんが生前に愛用していた時計は、静岡県にある墓所に一緒に入る手はずです。『なぜ時計なのですか』と問うと、橋田さんは、『主人と私はふたりで時を刻んできましたから』と優しく答えてくれました」(前出・TBS関係者)
入院直前まで元気に過ごし、入院から約1か月で旅立った。本当に誰にも迷惑をかけない、“自分で決めた死に方”で大往生を遂げた。これが脚本家の彼女が最後に書いた「理想の結末」だった。
※女性セブン2021年4月22日号