去年、本当はいつ頃のタイミングで、偉い人たちが「1年延期」を決めたのかはわかりません。発表された3月24日に向かって、IOCのバッハ会長や当時の安倍首相がどんなことを言っていたのかを振り返ってみましょう。
発表12日前の3月12日、ギリシャで東京オリンピックの聖火の採火式が無観客で行なわれた際、バッハ会長は力強くこう語りました。
「採火式の実現は東京オリンピックの成功に向けた私たちの決意を改めて表している。開会式を19週間後に控える中、多くの組織がウイルス拡散の封じ込めに多くの対策を取っていることが決意をより強くさせている」
この時点では、開催に向けての決意をより強くしていたようです。3月17日に電話会議で行なわれたIOCの臨時理事会でも「大会まで、まだまだ4か月あり、今は抜本的な決定をすべき時でない」と、予定通り準備を進めていく方針が確認されました。
ほぼ同じ時期の3月14日には、当時の安倍首相も記者会見で、IOCが開催についての最終判断をすると説明しながら、「この感染拡大を乗り越えて、オリンピックを無事予定通り開催したいと考えています」と明言。3月17日には、G7首脳によるテレビ会議後に、
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして完全な形で実現するということについてG7の支持を得た」
と述べました。今見ると「完全な形」という言い回しが、やや意味深です。もしかしたら延期の含みを込めていたのかもしれません。ただ、この時点では当時の橋本聖子五輪相も「完全な形というのは予定通りにしっかりと開催できるように準備し、それに向けて連携していくということ」と、予定通り2020年7月の開催を目指す考えを示しています。
このように総理大臣もバッハ会長もヤル気を見せていた1週間後、急転直下、1年程度の延期が発表されました。あらためて「国や組織のトップが言うことは額面通りに受け取ってはいけない」ということを学ぶことができます。そして、やるのが当然という前提で準備を進めていても、1週間後にはどうなるかわからないことも。
開催か中止か延期か、どの選択がベストなのかは誰にもわかりません。「中止したら選手が気の毒」という声もありますが、みんながみんな素直に応援できる状況ではない中で競技するのも、それはそれで気の毒です。
去年3月、バッハ会長は延期を決断した理由について、こう語りました。
「感染が世界中に広がり、問題は日本がどうかというより、世界中の国が参加できるかどうかに変わってきた」
今現在も、その状況は同じです。何らかの結論が出たときに、バッハ会長がどんなコメントを出すのか、そして菅首相は何を言い出すのか。いずれにせよ苦しいこじつけが盛り込まれるのは必至。いやはや、お役目とはいえおつらいことですね。