「師匠は工房では口数が減るタイプ」だという
“師匠”から小言を言われ、ちょっと気まずい。だが、1時間ほど練習を続けると、感覚が戻ってきた。決してゼロにはなっていなかった。
「この前は新鮮だったと思うんです。処女だったので。だんだん新鮮さはなくなっていくと思いますけど、頑張ってください」
はい! と返事したが、独特な比喩表現が印象に残った。聞き間違いのような気すらしてくるが、確かにそう言っていたと記憶している。
一区切りついたところで、少し早めにランチに行った。向かう途中、優一氏はこう言った。
「身体全体の使い方が大事なんですよね。イタリアでは70代とか80代ぐらいのおじいちゃんでも、靴を作っている人がいました。身体の使い方が分かっているから、それほど疲れないんです。手のひらも柔らかくて、小さな力で革を扱っていました」
続けて、思い出したようにこう漏らした。
「僕の父も、引退してガリガリになった頃でも、160キロもあるお相撲さんたちをバンバン投げ飛ばしていましたから」
ガリガリ? と聞き返してしまったが、引退後に体重がかなり落ちた頃のことだという。確かに、引退後しばらくして普通体型になった貴乃花を見た時はちょっと驚いたが、息子の優一氏からすると、山のように大きな存在だった父親が小さくなったようで、ショックだったのかもしれない。
なので「貴乃花 激痩せ」でネット検索すると、たしかに痩せすぎなほどに痩せていた時期もあったようだ。父・息子ともに、苦労の多い親子なのである。(後日、「その話は常識だ」と編集者から指摘を受けた。お恥ずかしい話、私は相撲の世界のことも横綱の歴史もまるで知らない)
優一氏には父の「几帳面さ」が遺伝
ランチは前回と同じ洋食屋に行った。私はミックスフライ定食、優一氏はヒレカツ定食を注文。いずれも価格は1300円前後とやや高めだが、味は文句なしだった。食事を終えてコーヒーが運ばれるまでの間、優一氏はテーブルの上にこぼれたフライの衣やキャベツの切れ端を指でつまんで集め、きれいにしていた。やはり几帳面な人である。父・貴乃花も“目についたゴミは拾う”を習慣としているそうだが、その美徳は優一氏にも受け継がれているのかもしれない。