新日本プロレス入団後、巡業に帯同。大型新人として、デビュー直後から坂口征二(右)、長州力(中央)らと同じく主力選手としての待遇を受けた
「いま、コロナの影響でお客さんも観客席で声を出せない。こんなことは過去、一度もなかったよな。プロレスファンって、学校の先生とかお坊さんとか、お堅い仕事、聖職者が意外と多いんです。多分、自分がやりたくてもできないこと、実現できなかった生きざまを、リングに上がるプロレスラーに求めてるって部分がどこかにあるんだと思ってますよ」
観客を非日常空間に誘い出し、ある種のカタルシスをもたらす。右足切断という苦悩をあえて前面に押し出すことによって、谷津はいま、プロレスというジャンルの変わらぬ本質、役割をはっきりと照射しようとしている。
「今回はバトルロイヤルだけど、いずれはタッグマッチ、シングルマッチにも挑戦できればと思ってます。この義足があればそれも夢じゃない。アマレスをパラリンピックの正式種目にすることも、ひとつの目標です。俺にしかできないことじゃないかなって思うんですよ」
モスクワ五輪出場の夢を断たれた谷津は、プロレスの世界で名を知られる存在になり、右足を失ったことで、結果的にビッグ・カムバックを果たした。また日々のトレーニングのかたわら、自身のYouTubeチャンネル「義足の青春」において、プロレスファンに昭和・平成のプロレス秘話を発信している。
夢を断たれ、何かを失うことで、新たな出会いが生まれ、無限に広がる可能性に気づかされる──谷津はいま、そんな人生の深奥をリングの上で表現しようとしている。同世代を生きたプロレスラーたちの多くは、リングを去った。だが、悲運のレスラーと呼ばれた谷津の青春はまだ、終わっていない。
◆取材・文/欠端大林 写真/山本皓一