チズさんが愛用していた香水や写真立て、かえるの置物(写真/チズコーポレーション提供)
チズさんは、仕事でつきあいのあった『ロングライフ』が運営する介護施設は「サービスが行き届いて素晴らしい。介護が必要になったら、そこに入りたい」と言っていたため、佳之さんが見学に行くと、近くにALSに力を入れている病院があり、環境的にもよい場所だった。
「でも、京都にあるため『なかなか面会に来てもらえないから、寂しい』『やっぱり行こうかな』と、本人の気持ちは揺らいでいましたね」
そんな中、2月24日にALSを公表する動画を撮影。このときのメッセージが公の最後の言葉となる。すでに足がほとんど動かず、車いす生活になっており、話しづらさも出始めていた。
「この後から急に進行し始めました。3月に入ると手足はもちろんですけど、飲み込みづらくなってきたので、一時、入院もしたのです。ちょうど、コロナの問題が出てきた頃でしたが、身内はどうにか面会できる状況でした。
2週間くらいの入院で自宅に戻りましたが、その経験から『やっぱり病院や施設みたいなところにいるのは嫌』と、ずっと言っていました。
もちろん、その願いは叶えたいと思いましたが、現実的に、課題がたくさんあって……。
3月末にはまったく動けなくなりましたが、どうするのがいいか悩み続け、答えが出ないままでいたところ、女性スタッフたちが声を上げてくれて……」
このスタッフとは、チズさんの秘書兼サロンマネージャーで、直弟子としてサロンで施術も行ってきたビューティシャンの平山泰代さんを含む古参スタッフ3名のことだ。
「仕事としてではなく、私たちが交代で、つきっきりで先生を看ますので、自宅にいさせてあげてくれませんか」と、彼女たちが申し出たのだ。
「本当に長い間、佐伯とともにいてくれたスタッフですので、本人がいちばんうれしかったと思います。自宅であれば、私や父も顔を出せますし、看ることができるので、自宅で介護や看病ができる体制を作ろうと決心しました」
男の佳之さんにとって、トイレの介助など、女性スタッフの存在は、本当にありがたく、心強かったという。
ケアマネジャーや訪問ドクター、訪問看護師らの手も借りながら病気と闘い、よりよく生きるためのサポートを行った。だが、担当ドクターから、「この年齢でこれだけの早さで進行してしまう人は、おそらく10%もいない」と言われたほど早いスピードで、病は進行していった。
チズさんは初期段階から、「延命処置は、一切してほしくない。体に傷をつけたくない」という意思表示を続けていたため、4月に入って「胃ろう」を医師から提案されたが、静脈から栄養を流し入れることを選択。4月末になると話をすることも困難になり、呼吸機能も低下。「呼吸機器もつけないということであれば、もって2か月ということを覚悟してください」とドクターに告げられたが、意思を尊重したという。
取材・文/山下和恵
※女性セブン2021年7月1・8日号
故郷・滋賀県の実家にある桜の木の下に遺骨の一部が眠っている
リュックは佳之さんが受け継いだチズさんの愛用品だ