タワマンは緊急避難的な必要悪
一方、東京でとりわけタワマンが林立しているのは湾岸エリアと呼ばれる地域だ。特に江東区の湾岸エリアは比較的最近に陸地になったことで建築関係の規制が緩い。また周辺にタワマン建設に反対する住民もいない。というか、そもそも人が住んでいない。だから、タワマンを建てやすい。
東京の湾岸エリアに林立するタワマン群(時事通信フォト)
そこには殺伐とした風景が広がっており、土地は余っているようにさえ見える。だから本来ならタワマンなど作る必要はない。タワマン建設とは本来、都心エリアの敷地が限られた場所に、より多くの住戸を作るための便法だ。
マンションの躯体である鉄筋コンクリートには寿命がある。50年先かせいぜい100年後には必ず解体しなければならない。何十階もの高さがある鉄筋コンクリートの厄介な「廃墟」を取り壊すのは、相当な難工事である。また多額の費用もかかる。
だから、タワマンという住形態は緊急避難的な必要悪なのである。しかし、その必要もない湾岸エリアにタワマンが林立しているのは、こちらも「売れる」からである。
「湾岸タワマン族」「駅弁タワマン族」の共通点
湾岸エリアのタワマンは誰が買っているかというと、ニューカマーでプチリッチな人々だ。大学入学か就職を機に東京にやってきて、世帯年収が1000万から2000万円に達した人々。そうした人々が湾岸タワマン購入層の中心だ。
彼らはタワマンをある意味で人生の「成功の証」だと考えている。厳しい競争を勝ち抜いて、ある程度の収入を得たからこそ購入できたのがタワマン。だからこそ、ヒエラルキーには敏感。彼らが住む階の高低によって階層意識を持つのは、ある意味で当然の帰結だ。
新幹線停車駅の駅弁タワマンを購入する人々にも、そんな湾岸タワマン族と共通するマインドがあるのではないか。
彼らはそのエリアのランドマーク的な存在になったタワマンの一室を所有している、という事実で自分たちのステイタスを確認しているのだ。
彼らもできることなら湾岸タワマン族のように東京で成功したかった。しかし家業や親世代が築いたクリニックを引き継ぐために地方に残らざるを得なかった。駅弁タワマンの所有は、そんな人々の東京志向を部分的にでも満足させているのだろう。
「自分はこんな地方都市でも駅前にセカンドハウスとしてタワマンを持っている」
そういう満足感を得ることに価値を見出すからこそ、高額なタワマンの一室を購入するのだ。