法学では「現在の基準を過去に遡って適用することはできない」とされますが、「人権」についてはこの原則は適用されません。その当時の法律に反していない行為が免責されるなら、新大陸の住民を虐殺し、アフリカから拉致した奴隷に強制労働させ、武力によって植民地を拡大・支配したことも、すべてとはいいませんが、ほとんどは「合法」になってしまうでしょう。奴隷制や植民地主義を不正だとするには、「現在の価値観で過去を断罪する」しかありません。
とはいえ、これをすべての歴史にあてはめると収拾がつかなくなる。どこで線引きすればいいのか、正直誰にもわからない。これは、「解決できる問題はすでに解決されている」という話です。逆にいえば、いまになっても解決できていない問題は、きわめて解決が困難か、原理的に解決が不可能な理由があるのです。
──つまり、線引きがあいまいなまま、今後も「キャンセルカルチャー」が続いていく?
橘:そうなりますね。今回の件でひとついえることは、過去の「愚行」がデジタル化されて記録されている場合は、いつ地雷を踏むかわからないのですから、公の仕事を辞退するのが最適な選択になることです。その結末は、今回の五輪の開幕式が象徴するように「そして誰もいなくなった」でしょう。
世界の76億人のひとたちが「自分らしく」生きようとすれば、あちこちで利害が対立し、国や宗教、民族・部族、個人単位で異なる「正義」が衝突します。私は、これが「リベラル化の必然」だと考えています。
世界がますますゆたかになるにもかかわらず、私たちが生きづらさを感じているのは、社会や人間関係がとてつもなく複雑になり、管理できなくなっているからです。リベラルなひとたちは、リベラルな改革によってこの問題を解決しようとしていますが、これは論理的に矛盾していて、リベラル化による「価値観や利害の衝突」が生きづらさの原因なのですから、「改革」が進めば進むほどますます事態は悪化していきます。
こうして私たちは、攻略がきわめて困難なゲーム「無理ゲー」の世界に放り込まれてしまったのです。
(8月1日配信の後編〈過去の言動を非難され立場を追われる「キャンセルカルチャー」から身を守る方法〉に続く)
【プロフィール】橘玲(たちばな・あきら)
1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。その他の著書に『上級国民/下級国民』『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』など。7月29日にリベラル化する社会の「残酷な構造」を解き明かした最新刊『無理ゲー社会』を上梓。