水害が政権の命取りになると考えはもっと古くからあり、司馬遷『史記』の「周本紀」では、三川地方(黄河の中流域)が大地震に見舞われたことを受けての、周の太史(記録官)伯陽甫の予言を記している。
「国の存立は必ず山川の力によるもので、山が崩れ、川が尽きるのは亡国の兆候である。川が尽きれば必ず山が崩れる。もし国が滅びるなら十年のうちだろう。十は数の終わりで、天の棄てるところ、十年を過ぎることはあるまい」
これに続いて「周本紀」は、伯陽甫の予言が的中したことを記す。周の都が反乱軍に攻め落とされ、幽王は殺害。生き残った王族により王朝の再建と秩序の回復が図られるまで、長い歳月を要することとなった。
現代中国の治水の課題は「断流」問題
水害といえば氾濫・洪水ばかり連想するかもしれないが、氾濫・洪水と渇水は河川に起きる大惨事の表と裏で、自然環境にも人にも害となる点は共通している。現代中国の事件としては街を濁流が呑み込む映像ばかりが流されがちだが、水害でより深刻なのは渇水で、中国では河口まで流れが届かず途絶える現象を「断流」という。
断流が深刻化しているのは、「母なる大河」とされる黄河である。原因として「源流地域での氷河の後退」や「降雨量の減少」が指摘されているが、より大きなものは「農工業の開発と都市化の急速な進展に伴う水需要の急増」で、これに工業・家庭排水による汚染が加わり、利用可能な水のさらなる減少を招いている。
具体的な数値を挙げると、黄河下流域にあたる花園口と利津の2か所では、1950年代から1960年代は1年間に約500億トンの水が流れていた。それが1990年代には花園口で257億トン、河口近くの利津では145億トンにまで減少。ついには一滴の水も流れてこない「断流」が珍しくなくなったという(佐藤嘉展・総合地球環境学研究所上席研究員の2007年の講演録「なぜ、黄河断流が起こったか」より)。