その罵倒の勢いがあまりにも凄まじかったからであろう。マーケティング感覚に優れた後藤投手の雇い主でもあるトヨタが、「事件」の翌日である5日、さっそく「金メダルはアスリートの長年にわたる、たゆまぬ努力の結晶。またコロナ禍においてメダル授与ですら、本人が首にかけるという状況下においての今回の不適切かつあるまじき行為は、アスリートへの敬意や賞賛、感染予防への配慮が感じられず、大変残念に思う。河村市長には、責任あるリーダーとしての行動を切に願う」という抗議のコメントを出した。
トヨタは言うまでもなく名古屋圏に君臨する巨大企業であり、東京五輪の大スポンサーでもある。5日に河村市長が囲み取材で謝罪をしたのは、トヨタの「力」に危機を感じたがゆえのことに違いない。その後、11日までにIOCが新しい金メダルに交換することを決めたのも、やはりトヨタの「力」だと思う。
12日に河村市長が記者会見を開き、また謝罪をし、記者との問答では吊し上げのようなことになっていたが、このような大騒動に発展させたのは、トヨタの「力」、そしてその大企業のセンサーを反応させた我々の声である。集団ヒステリーと化した声、声、声。
河村市長の噛みつき行為は、「きさくな72歳」という自らのキャッチコピーになんの疑いもなく、安易に実行した愚行だ。市長は、オヤジやジジイという属性が、どれだけ生理的嫌悪感を発動させやすいものなのか、あまりに理解が足りなかった。抱かれたかったり癒されたかったりする一部の芸能人などは飽くまで例外で、一般的な中高年男性はただそれだけでマイナスの存在なのである。そのぐらいの自覚がないと、キモい、グロい、気持ち悪い……と受け取られる言動をしかねないのである。
今回の件で、河村市長はその重みを学んだだろう。そして、次の市長選に出馬するのなら、そのハードルは非常に高いものとなるだろう。民意はときに理不尽で残酷なのだ。
それはそれなのだが、気になる点が一つ残る。それは後藤投手本人の気持ちだ。
11日に配信された日本テレビ系(NNN)のニュースによると、〈後藤投手はかまれたメダルについて、チームで勝ち取って表彰式で授与されたものだとして、新しいメダルとの交換を辞退する意向を示していた〉という。〈しかし、萩生田文科相が「教育上非常に良くない。人の大切なものを口にいれるなんて」と問題視するなど、各方面からメダルの交換を求める声が高まり、交換が決まった〉らしい。
この話が事実であれば、後藤投手のメダルはまた勝手な他人がいじっている。彼女が辞退の意向を示したのは、市長や世間に遠慮したからかもしれないが、噛まれたことをたいして気にしていなかったからかもしれない。生理的嫌悪感は相対的なものなので、それを感じる人によって本当にまるで違う。
ゆえに、本人が示した意向こそを最大限尊重すべきなのだが、メダル交換という結論にどれだけそれが反映されているのか。噛んだ側も、事態を収拾する側も、メダルを獲得した本人の意向を聞こうとしないオヤジたちばかりのような気がしてならない。そういうオヤジの性質ほど嫌われやすいのに、である。