そんななか、1994年に知人の紹介で知り合ったのが文子さんだ。同年シーズン最終戦の「大京オープン」で復活優勝。翌1995年の開幕直前に再婚して、年末には長男が誕生した。1996年7月の「日経カップ」で1年7か月ぶりに優勝すると、優勝カップと一緒に長男を抱いて記念写真に収まった。
「どん底の状態の時に妻と出会えたのは大きかった。妻はゴルフを全くわかっていなかったので、プロゴルファー加瀬秀樹ではなく、ひとりの男として応援してくれた。栄養を考えた食事をつくってくれたり、ゴルフ以外の話をしてくれたり、心の支えになってくれた。
妻と知り合って再認識したのは、“この人のために頑張ろう。この人の笑顔が見たい”という気持ちの大切さです。あとは長男の誕生。“この子に頑張っている姿を見せたい”と強く思いました」
2004年の「サントリーオープン」では、最終日に小学生だった哲弘くんが応援に来ていた。
「ハーフターンの時に“終わるまで見ないで”と言いながら中央で折った紙を1枚渡されたんです。クラブハウスの公衆電話の横にあるメモ用紙に書いたものでした。見ないでと言われたけど、11番のティグラウンドで見ちゃったんです」
そこには〈ゆうしょうまちがいなし〉とあった。
「この段階では他の選手と競り合っていたのですが、メッセージが力になって勝てました。長男に助けてもらって勝った試合だと思います」
47歳までレギュラーツアーで戦い、今はシニアツアーという新しい世界で、ライバルと競い合う。
「幸せですね。昔を思い出して若返ることができる。シニアツアーでも公式戦に勝って再び輝けた。それも新しい家族と出会えたからです。悶々としたままボールを打っていたら、今の自分はありません」
悲しみを乗り越えた先に、新たな幸せがあった。
※週刊ポスト2021年12月24日号