「ローダウンすれば足つき余裕だろうし、シートもタックロールに変えてたな」
そのカスタムし尽くしたジャズにまたがる姿を実際に見てない筆者は想像するしかなかったが、低身長症にも程度差があるので重症だとシートの低い原付でも足つきは厳しくなる。またジャズはMT(いわゆるマニュアル車)なので足の状態によってはシフトチェンジに支障が出る可能性もある。低身長症とわかる背丈でも成長阻害そのものは軽度だったのかもしれない。それでも凄い。海外でも止まるたびに飛び降りるという達人級の低身長症ライダーが実在するが、どんな人にもホビーは可能性をくれる、だから好きだ。
それからしばらく、その人とは別の人であろう低身長症の人が乗るバイクを高田馬場で見かけた。彼は同じくホンダの原付「モンキー」(現在のモンキー125とは別)に乗って早稲田口のガード手前、信用金庫のあたりで信号待ちをしていた。障害のある方でも適性検査を受けて問題ないと判断されればバイクに乗れる。とくに原付は実技試験がなく取得時の周回練習のみなので多くのハンディキャッパーも取得している。しかし「乗れる」ことと「実際に乗ろう」とチャレンジすることは別で、後者もまた人の可能性を示す。そして法や社会の規範に従う限り、それは人の権利だ。これを「人権」と呼ぶ。
「かっこいいですね」
これまた筆者も所有していた車種なので「どうですか」と乗り味込みで声掛けした。
「ノーマルですから遅いですよ」
笑いながら答えてくれた。グリップに掛けたコンビニ袋をなびかせて早稲田方面に走り去る。かっこいい。
「モンキーうらやましいですよ」
それからしばらく後、この件を筆者の大先輩であるアニメプロデューサーに話すと心底羨ましがった。
「私が乗るとサマになりません」
彼は身長180cmをゆうに超えているしガタイもいいライダー、ハーレーのFLHTに乗っていた。そして先のバイクの師匠と同様、こちらにもリスペクトがあった。レイシストなら筆者の話を想像して笑うところだが、彼は違った。こういうときに人間性が出る。
そう、人間性――『「ホームレスの命はどうでもいい」と嘯く人たちの傲慢さと哀しさについて』および『去年ホームレスが殴られて死んだ渋谷区のバス停で一晩明かしてみた』などでも書いたが、そうした思考は言葉に、言葉は行動に、そして行動は運命となる。