冗談で済まされた時代のほうがおかしかった
いま話題のプロゲーマーによる身長と人権をめぐる乱暴な放言、ゲーマー界隈では「人権」とは所持していることが前提のアイテムなどのことを指すスラングとされているが、リアル社会では違う。『消えない「アジア人差別」に私たちはどう応じてゆけばよいのか』で言及したが、FCバルセロナ所属(当時)のアントワーヌ・グリーズマンは日本人差別でスポンサーのコナミから契約を解除された。コナミは「スポーツの理念がそうであるように、いかなる差別も許されるものではないと考えています」と毅然と対応した。当該記事でお話しいただいた欧州生活の長い元大学教授に改めてこの件を尋ねてみると、以下の回答があった(要旨として筆者まとめ、注釈)。
「(そういう話を)笑って済ます時代じゃないからね。昔はテレビが身体差別の番組やってたくらいひどかったけど、それが冗談で済まされた時代のほうがおかしかったんだし。キャンセルカルチャーはよくないけど、それをいま(の時代に)やっちゃったら、まあ無理だよね。ただ正義に飢えてる人もいるし、正義も消費されるからね、そこも注意しないとね」
最後の「ただ」に続く部分はあくまで先生の見解だが、これを誤解なく本質を語るとなると相当量のテクスト(テキストとは異なる)が必要となるので今回は置く。ともあれ「笑って済ます時代じゃない」のは今回の現実を見れば確かだろう。
実際、多くのアスリートをサポートする世界的な飲料メーカー、レッドブルもF1チーム「レッドブル・レーシング」の従業員がネットで人種差別的発言を投稿したとして解雇、「あらゆる差別に団結する。あらゆる種類の差別的な中傷を非難する」という趣旨の声明を発した。そのレッドブルは今回放言したプロゲーマーともスポンサー契約を結んでいたが、こちらも公式ページから削除している。差別反対を綺麗事だ、上辺を飾っているだけだと揶揄する向きもあるだろうが、だからといって差別していい、ということにはならない。もうそんな時代じゃない。人それぞれに変えることのかなわない、努力ではどうにもならない身体的な現実を悪し様に罵ってはいけないことを現代人は知っている。そして差別や冷笑に屈せず「声」を上げ続けなければルッキズムが野放しになってしまうことも、それが自身に返ってくることも知っている。日本人は「障害は前世の悪業」「親の因果が子に報い」が当たり前だった時代に比べれば確実にアップデートされている。