本田美奈子.さんがキム役を演じたミュージカル『ミス・サイゴン』の訳詞も岩谷が手がけている(写真/女性セブン写真部)
傷心を乗り越え、ミュージカルの世界へ
越路を失った心の穴を埋められずにいた岩谷に、新たな世界が訪れる。音楽評論家の田家秀樹さんはこう話す。
「それはミュージカルの世界です。特に1985年にロンドンで上演された『レ・ミゼラブル』の音源に心を揺さぶられ、再び訳詞の仕事へと没頭するようになったのです。ぼくが岩谷さんを取材していて驚いたのは、その創作意欲。『レ・ミゼラブル』などの訳詞を精力的に手がけられたのは、70才くらいですが、稽古場に泊まり込んで、納得するまで訳詞に取り組むと聞いて“いつまででも現役でいられるんだ”と、勇気付けられたことを思い出します」
ミュージカルで活躍していた本田美奈子.さん(享年38)を岩谷はことのほかかわいがっていたという。
「本田さんはピュアで努力家。その姿が越路さんと重なったのでしょう。本田さんも岩谷さんのことを“お母さん”と慕っていました。彼女が歌う『アメイジング・グレイス』も岩谷さんの訳詞。本田さんが白血病で亡くなる直前までICレコーダーでメッセージのやりとりをしていました」(田家さん・以下同)
80才を過ぎ、車いすを使うようになっても、創作意欲は衰えることがなかった。
「岩谷さんは帝国ホテルのスイートルームで暮らしていました。食事はルームサービス。隣に24時間対応の介護をされるかたがいらっしゃるようになっても、机の上にはペンと原稿用紙がありました。いつでも詞を書けるようにしていたんです」
岩谷は美しい言葉にこだわっていた。エッセイでも《正しい日本語の使い方も、所詮その人の優しさから生まれるもの》と記している。
「いまから20年前でしょうか、新潟で『越路吹雪』という日本酒を見つけたので、岩谷先生にお送りしたら、先生からお礼のお電話をいただいたんです。そのとき、『この前、電車で女子高生がオレだのお前だの言っているのよ』と嘆いていた。言葉を大切にされた先生らしいなと思いましたね」(佐良さん)
美しい言葉を巧みに使い、男女の情愛を生み出してきた岩谷。その歌の物語は彼女の経験によるものなのだろうか。田家さんは次のように語る。
「どうして、こんなにいろんな男女の情愛を描くことができるのかと、以前、質問したことがあるんです。そのとき岩谷さんは、『現実の世界で恋をしてこなかったから。現実の恋愛はしんどいことが多い。だからこそ、よその人の恋を見て、それを想像して詞を作る方が楽しい。私は歌の中でたくさん恋をしてきましたから』と、おっしゃっていました。
リアルな恋をしてこなかったからこそ恋に憧れがあって、美しい男女の愛の物語が描けたのかもしれませんね」
彼女はエッセイでも《ふたりで燃えつきるほどの恋を知らないかわり、私は、ひとりでいつも誰かを愛している》と綴っている。
自らが憧れ、思いを膨らませた普遍的な愛の物語だった。だからこそ、岩谷の歌詞はいつの時代も私たちの心に刻まれていくのだろう。