怪文書の現物
──高市さんに加え、野田聖子さんも出た。総裁候補4人のうち2人が女性という画期的な戦いでした。2人とも稲田さんと同年代ですが、政治経験は10年以上も先輩。同じ「女性議員」とはいえ、見てきた永田町の景色に違いはありますか。
「私の初当選は女性の新人が16人も通った小泉郵政選挙(2005年)でしたが、おふたりの時代はもっと少なかった。以前に野田先生から聞いたのは、1993年の初当選時、自民党の同期が26人いて、女性は自分一人だったそうです。高市先生は後に他党から合流されましたが、おふたりともそれぞれ自分で道を切り開いて、今の地位を築いている。でも、私だったら、一人で切り開くのは大変やなと思ったんですよね。16人いた女性の同期も、3人(※参院鞍替えは除く)まで減ったし。だから、同世代の女性たちで派閥を超えた塊をつくって、『女性議員飛躍の会』(2019年設立)という議員連盟を党内で立ち上げました」
稲田氏の政界デビューは比較的遅い。野田氏の26歳、高市氏の32歳に対し、46歳だった。ただ、両者より結婚は早く、30代で出産を経験。大阪で弁護士事務所を一緒に営む夫と、元教師の実父はともに筋金入りの民族派だったが、自身は政治と無縁の人生を歩み、2児の子育てに邁進した。
それがある時、言論誌に投書したのをきっかけに草の根保守運動に携わるようになった。日中戦争時に旧日本軍が中国人に行なったとした「百人斬り」の報道を虚偽とする訴訟では原告側代理人に。2005年の郵政選挙前夜には安倍晋三・党幹事長代理(当時)の目に留まり、公示日の2週間前にスカウトされる。稲田氏は郵政民営化造反組への刺客として衆院福井1区に送り込まれ、373票の僅差で勝利。福井県から女性議員が当選したのは、59年ぶりであった。
稲田氏は福井県越前市生まれだが、4歳で京都に引っ越している。地元との地縁は薄く、世襲でも元官僚でもない。事実上の“落下傘”でありながら、これまで6戦全勝を誇る「無敗の女」である。その点でも落選経験のある高市、野田両氏と異なる道を歩んできた。
──2015年あたりから高市さん、野田さんと並んで「初の女性総理候補」と目されましたが、その中で自分だけ昨年の総裁選に出ませんでした。党史上初めて複数の女性が挑む歴史的決戦を見ていて、稲田さんには悔しさもあったでしょう?
「自分も出て論戦したいなとは思いましたが、やっぱり2人とも圧倒的な力を持っている先輩ですし、むしろ肯定的に、複数の女性が出るってことはすごくいいことだと思いました。私がいなくても扉は開いた、私も総理を目指していいんだ、という気持ちになりましたよ」
(第2回につづく)
【プロフィール】
稲田朋美(いなだ・ともみ)/1959年、福井県生まれ。早稲田大学法学部卒業。1982年、司法試験合格、1985年、弁護士登録。李秀英名誉毀損訴訟、「百人斬り」報道名誉毀損訴訟などに携わる。2005年に初当選後、内閣府特命担当大臣(規制改革)、国家公務員制度担当大臣、防衛大臣、自民党政調会長、同幹事長代行などを歴任。衆院福井1区選出、当選6回。
【インタビュアー・構成】
常井健一(とこい・けんいち)/1979年茨城県生まれ。朝日新聞出版などを経て、フリーに。数々の独占告白を手掛け、粘り強い政界取材に定評がある。『地方選』(角川書店)、『無敗の男』(文藝春秋)など著書多数。政治家の妻や女性議員たちの“生きづらさ”に迫った最新刊『おもちゃ 河井案里との対話』(同前)が好評発売中。
※週刊ポスト2022年4月1日号