ピラニア軍団のアニキ分でもあった渡瀬恒彦さん
メンバーのひとりで、俳優の成瀬正孝(72、当時の芸名は成瀬正)が語る。
「俺は1969年に東映にニューフェイスで入って京都撮影所に回され、気がついたらピラニア軍団に入っていた。その名の通り我が強く『何にでも食いつく』人ばかりでした」
セリフのある役はもらえず、チョイ役や斬られ役ばかり。酒と役に飢えていた彼らに目をつけたのが、映画監督の深作欣二(享年72)だった。
彼らが燻っていたのと同じ頃、笠原和夫が脚本した映画『仁義なき戦い』(1973年)のキャスティングを進めていた深作は、京都撮影所の大部屋俳優について映画関係者にこう尋ねて回ったという。
「彼らのなかで一番乱暴なのは誰だ? 札付きであればあるほどいいんだけどな」
この時、深作のお眼鏡にかなったのが、川谷や志賀らピラニア軍団の中核メンバーだった。
主役から脇役まで、ひとりひとりのキャラクターを重視する『仁義なき戦い』で、日本刀や拳銃を手にしたメンバーはそれまでの鬱憤を晴らすかのように、切った張ったの大立ち回りを演じた。「水を得たピラニア」になった彼らはスクリーンで躍動し、仁義シリーズは日本映画史に残る大ヒットを記録した。
そして仁義シリーズでの活躍をきっかけにピラニア軍団はどんどん脚光を浴びるようになっていく──。
(第2回につづく)
※週刊ポスト2022年4月29日号