1999年にはサーカスやシンクロナイズドスイミング(当時)、フィギュアスケートと融合した新しいライブ『YUMING SPECTACLE SHANGRILA(ユーミンスペクタクルシャングリラ)』を開催。チケット代は7500〜1万1500円と当時としては高かったにもかかわらず、即完売。ユーミンらしく、冷え込んだ日本を盛り上げていく。
さらに2000年代になると、ミュージシャンの寺岡呼人(54才)が主催するイベント『Golden Circle(ゴールデンサークル)』に参加。2007年には『Golden Circle feat.』というバンドに、寺岡やゆずとともに参加し、シングル『ミュージック』を発売してオリコン1位を獲得するなど、精力的に活動の場を広げていく。
その活動はコロナ禍でも変わらず、2020年12月にリリースしたアルバム『深海の街』の発売に際して受けたインタビュー(音楽ナタリー 2020年12月1日)で、ユーミンはコロナ禍についてこう語っている。
《デビュー以来、経験したことのなかった閉塞感でした。》
音楽活動が制限される中、彼女は新たに音楽と向き合っていた。彼女はインタビューでこう続けている。
《のちの世界史に大きく刻まれるはずの未曾有の年なのに、「今記録しないでどうするの?」と。何より、このまま音楽を作らないと、私はかえって心身をおかしくしてしまうと気が付いて。私にとって創作とは自分を見つめる作業だから、苦しくても自分を見つめなければ未来も見えてこない。》
これこそ、ユーミンらしい考えだと富澤さんは言う。
「ユーミンは、人から見たら挫折や苦難と思われることでも、未来に目を向け、創作活動をしてきたことで、それらの困難を打ち破っていったんです。そういうところが、生き方としてぼくはカッコイイと思います。
1986年にぼくがインタビューしたとき、彼女はこんな話をしています。《自分は人とちょっと違う、カッコいい生き方をしてると思ってる人達の、一歩先を行くことかな。音楽だけじゃなく、生き方すべてをひっくるめてね。》これはいまでも変わらない。他人よりも一歩先を常に歩いている。だからこそ、みんな“ユーミンみたいになりたい”と思うのだと確信しています」
この先、70代、80代になっても、ユーミンは常に進化を遂げ、新たな時代の扉を開いてくれるに違いない。
(了)
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2022年5月12・19日号