しかし、ここで読者のみなさんにぜひ考えていただきたいのは、では桂太郎は「百パーセントの悪」で、無実の罪で「殺された」幸徳秋水は「百パーセントの善」なのだろうか。人間には完全な悪も完全な善も無い、というのが私の歴史を見る視点だが、それをこのケースに当てはめてみると、いったいどういうことになるだろうか。
まず私は、大日本帝国が日露戦争に踏み切ったこと自体は帝国主義の一環としての問題点はあるものの、やはり歴史上なされるべきであったと考える。その理由は、当時の世界においてはキリスト教徒白人の非白人に対する明白な差別があったからだ。キリスト教に基づく黄禍論を土台にした差別は厳しいもので、帝国主義の根底にもあきらかにこれがある。そしてそれが完全では無いが、曲がりなりにも解消されたのは第二次世界大戦終了後、すなわち一九四五年以降であり、現在でもそうした差別が続いていることはご存じのとおりである。
この差別解消に大きく役立ったのが、日本の日露戦争における勝利であった。これは前にも述べたが、これから人類史が何年続こうと特筆すべき日本そして日本人の功績である。ところが、幸徳にはこの功績に対する評価がまったく無い。それどころか、あらためて『廿世紀之怪物 帝國主義』を通読してみても、幸徳は白人も非白人もいっしょくたに捉えており、その間に厳しい差別構造があったという認識が感じられないのである。これはやはりこの著作の大きな欠陥と言うべきで、この争いを桂VS.幸徳の論争だけに限定するなら、ここのところは「桂の勝ち」と言わざるを得ない。
もちろん強調しておかなければならないのは、いくら自分のほうが正しいと思っても不正な手段で相手の言論を弾圧してはいけないということだ。これも桂の立場で言えば、法律に則って裁判も行なった、その結果の死刑であって暗殺では無いということだろうが、そもそも権力側が自由自在に冤罪をでっち上げられる法律構造こそ大日本帝国の大きな欠陥である、という視点も必要である。
こういうことをするから大日本帝国は後々滅びたのだ、と言っても過言では無いかもしれない。というのは、帝国主義への「断言」の前に、先ほど述べたような厳しい状態が数年続けばどうなるか、幸徳は次のように予言しているからだ。
〈わたしはこうなるだろうと信じている。「東洋の礼儀正しく善良な国の二千五百年の歴史は、黄梁一炊の夢[富貴・功名が短く、はかないことのたとえ]となってしまうだけであろう」と。ああ、これがわが日本における帝国主義の結果ではないだろうか。〉
(引用同)
黄梁一炊の夢(一炊の夢)という故事についてはご存じかもしれないが、中国の古典『枕中記』にある寓話だ。野心ある若者が立身出世を夢見て都へ向かう途中、茶店で黄梁を炊いた飯を注文し炊き上がるまでの間、不思議な術を操る道士から枕(その場所の地名から「邯鄲の枕」という)を借りて昼寝した。その夢のなかで若者は立身出世し栄耀栄華を極めたのだが、目覚めてみるとまだ飯は炊き上がっておらず、栄耀栄華はまさに「一炊の夢」にすぎなかった。人生のむなしさを悟った若者は故郷へ戻った、という話である。
中国古典好きの日本人には古くから知られていた話で、ちょっと教養のある人間なら誰でも知っていると言っても過言では無いエピソードであった。そして日本帝国主義は、まさに日本紀元二千六百五年(1945)に終わりを告げた。幸徳の予言どおりになったのである。
言論そして言論の自由の効用はこうしたところにある。おわかりのように、桂が百パーセント正しいわけでも無く、幸徳が百パーセント正しいわけでも無かった。しかし言論を自由にしておけば、さまざまな点で国家も国民もさまざまな意見をもとに軌道を修正することができる。ところが、日本では明治以降まず日比谷焼打事件で国民が自らの耳目を塞いでしまった。そして、大逆事件では国家が国民の耳目を塞いでしまった。