代々木深町小公園に設置された透けるトイレ(イメージ、時事通信フォト)
企業となるとさらに増える。一部のコンサルティング会社(以下、コンサル)は「素手で掃除」を社員研修の一環としている。創業者の二代目、三代目がメンバーに多いことで知られるコンサル会社は2017年のプレスリリースで「素手でのトイレ掃除も。仕事のやり方・考え方に気付く習慣を身につける独自の研修」としている。これまた愛知県では2017年、地元の経営者や企業幹部、幹部候補者、青年会議所のメンバー総勢100人で小学校のトイレを素手・素足で掃除したと地元紙が報じている。筆者の知り合いの商社マンも入社したばかりのころに「素手でトイレ掃除」をさせられたという。
この「素手でトイレ掃除」を全国的な運動にしたのは鍵山秀三郎という人である。カー用品チェーン大手、イエローハットの創業者だが、1962年の創業以来、自ら実践してきた「素手でトイレ掃除」を含めて社会運動化、NPO団体の「日本を美しくする会」を1990年代に立ち上げた。その中に「掃除に学ぶ会」もある。あくまで日本を美しくするための会であり、「素手でトイレ掃除」以外の活動も盛んなので、美しくする会そのものはそれだけをアピールしているわけではないのだが、やはり「素手でトイレ掃除」のインパクトが強いためか同活動に関する引き合いが多いようだ。これまで紹介してきた「学ぶ会」も彼の教えを信奉し、実践する人たちである。前述したコンサルの言う「独自」というのはあくまで研修の売り文句なのだろうが、提唱者は鍵山秀三郎であり、「日本を美しくする会」はオーナー企業の個人活動を遥かに超えた全国組織である。企業経営者を中心に支持者も多く「素手でトイレ掃除」も含めた人間の磨き方などの啓発本も多い。本来は自主的に心を磨く行為だったはずが、一部のコンサルや信奉者により命令下の実践も見受けられるようにもなった。
「素手で掃除しなきゃだめだ」と言った男性教師
筆者は千葉県生まれだが、この「素手でトイレ掃除」の経験者である。昭和50年代、小学生の時、クラスメイト数人と特別支援学級のトイレ掃除の当番だった。筆者は子どものころから掃除好きで、それは生来の気性と同時に臨済宗の幼稚園で学んだからかもしれない。臨済宗では掃除もまた禅(作務)である。だからクラスの大半が嫌うトイレ掃除などなんとも思わないし、同じ感覚のクラスメイトと仲良くトイレ掃除を続けて先生から特別表彰された。そんな制度は知らなかったので気恥ずかしかったが、事件はある日起こった。
小学生の記憶なので曖昧な部分はあるのだが、知らない男性教諭がやってきて「素手で掃除しなきゃだめだ」と言ってきた。さすがに私たちは躊躇したが、先生に言われたので素手で雑巾を持って大便器(和式)の内側まで拭いた。筆者は泣いてしまった。クラスメイトがどうだったかは定かでない。ただその大便器の内側にこびりついたものをこすったことは鮮明に覚えている。泣いたことも覚えている。
なぜ泣いたかはわからない。汚い、ということではなかったと思う。自分からトイレ掃除をして、長く務め、表彰されて、それでも足りない、と言われたことに泣いてしまったのだろうか。もしくは命令されたことだろうか。
それを見た筆者の担任は即「そこまでしなくていい」と言った。冷戦下の昭和50年代、1980年代初頭の学校教育は子どもには想像もつかない教員同士の対立もあった。右であれ、左であれイデオロギーに支配された教員も多かった。いろいろあったのだろうとは思う。