清掃という行為そのものは素晴らしい(イメージ)
かつて昭和の時代「東の千葉、西の愛知」と呼ばれるほどに特異な管理教育を実践していた千葉県だが、たまに教師から殴られたり蹴られたり程度で、それ自体は他の生徒と同じく当たり前のように受け入れていたものの、これだけは思わず泣いてしまった。ただし素手で掃除しないといけないと言い出したのはその先生だけだったので、彼が個人的に「素手でトイレ掃除」を信奉していたのかもしれない。昭和のマンモス小学校、彼だけでは語れないが、実際にいたことだけは事実である。
普通の人を看守役と囚人役に分けて人間心理を探ろうとした「スタンフォード監獄実験」にもこの「素手でトイレ掃除」がある。そこでは屈辱感を与える拷問とされているが、実験の是非はともかくお国柄の違い、では片付けられないほどに乖離があるように思う。ここで重要なのは「命令」で、小学生の筆者は命令されたからこそ屈辱を覚え、泣いたのかもしれない。これまで紹介したような自主的な方々ならまた違うのだろうし、命令は発案者である鍵山の本意から逸脱しているようにも思う。自民党の衆議院議員、野田聖子などはホテルに勤務していた時代、手抜きをしていない証拠に自分が磨いた便器の水を自主的に飲んだという。筆者の主治医にこれらの話をしてみると、
「やめたほうがいいよ、菌が凄いもん。素手だって駄目だよ、大腸菌は怖いよ。感染症にでもなったら大変だよ」
と諭されてしまった。医師として至極真っ当な反応である。また取材で知り合ったハウスクリーニング技能士(国家資格)のベテラン清掃員曰く「ちゃんとゴム手袋しなきゃ駄目だよ。なんの意味があるの?」と呆れられてしまった。これまた至極真っ当なプロの意見である。
「あとトイレの洗浄剤って強くて危ないからね、とくにアルカリ性の洗剤は素手で触っちゃだめだよ」
あくまで業務用の強力な洗剤の話だが、家庭用でも人によっては皮膚がかぶれ(接触皮膚炎)たりする。日本化学工業協会によれば、ハウスクリーニング業者が作業中に洗剤をこぼし、手当てが遅れたこともあって皮膚移植が必要なほどの化学やけどを負った事例もあるという。
掃除は素晴らしい行為だと思っているし、掃除から学ぶことは非常に多いと思っている。しかし、それはあくまで個人的な趣意で他者に命令、強要しようとは思わない。その行為が尊くとも、それが他者にとって尊いかは別問題である。せっかくの素晴らしい提唱や運動も押し付けと思われたら台無しだ。とくに企業は雇用側と被雇用者との力関係から、事によってはハラスメントになりかねない。また医師や清掃員の話ではないが、科学的に明白な衛生問題もまた留意すべきだろう。せっかくの篤志も誤解されてはもったいない。
ときとして学校や企業の不祥事が起きると話題になる「素手でトイレ掃除」、それを知らない、したことがないという人の考える以上に歴史は古く、日本各地で長く実践されてきた。しかし時代の流れとともにネットを中心に反発の声も生まれていることも事実、清掃という行為そのものは素晴らしいが、このコロナ禍もきっかけとして、時代にアップデートした対応と原点回帰が必要かもしれない。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。