自慢の脚はアメフトでも通用している(Photographs by Kohei SAEKI©Official RISE pics)
言葉だけ聞くと悲壮感が漂うが、石川は楽しそうに話す。
「今の状況がベイスターズに入って若手だった時と似ているんですよ。一番下手くそだけど、はい上がるしかない。もう根性ですよ。野球をしていた時もセンスで勝負してきた人間じゃないんで」
石川が横浜(現DeNA)に2004年ドラフト6位で入団した時、石井琢朗(現DeNA一軍野手総合コーチ)という球界を代表する名ショートがいた。子供の頃から見ていた憧れの選手と同じユニフォームを着てプレーすることで、その凄さを痛感させられた。攻守で見せる圧倒的な技術に「プロでやっていけない」と絶望感を味わった。同期入団の藤田一也も「ハマの牛若丸」と呼ばれる守備の名手だった。石川はプロで生き残るため、レギュラーを奪い取るために死に物狂いでプレーした。猛練習で意識が飛んだ時もあったが、負けず嫌いな男は倒れても立ち上がる。骨折しても試合に出続けた。内野のレギュラーをつかむと、DeNAで初代主将を務め、15年間のプロ野球人生で通算1003安打を積み重ねた。
ノジマ相模原ライズでも、歯を食いしばりトレーニングに没頭する。ボールをキャッチする際に左手の中指を骨折したことも。ヘルメットとフェイスマスク、ショルダーなどの総重量は8キロあまり。30度を超える炎天下で防具を続けて走り続けた際は、気分が悪くなり嘔吐。そのまま倒れた。熱中症だった。
鍛えるのは肉体だけではない。アメフトは「頭脳のスポーツ」と呼ばれる。情報分析や戦略が重要なウェートを占め、相手チームと緻密な頭脳戦が繰り広げられる。状況が目まぐるしく変わるため、試合中もプレーごとに作戦会議(ハドル)を開く。石川も100種類以上のサインを頭に叩き込み、動きの精度を上げることに集中している。