藤井氏はそのキャリアを第1回「星新一ショートショートコンテスト」入賞で始めるのだが、この〈入賞賞品が凄かった〉。男女各5名の入賞者と星氏でカイロ~パリ~ウィーン~ロンドンを11日間周遊。食事やお酒を共にし、その縁は帰国後も続いたという。
「誰に話しても驚かれます、あり得ないって。それこそ宿も食事も星さんクラスなんですから。次回から普通の賞に戻ったくらい最高の経験でしたし、夜は夜で『ちょっと飲みませんか』と言ってお部屋に伺ったり、その中で訊いた〈星新一の教え〉は、今でも私の大事な財産です。
そんなわけで私の場合は、一生かけても超えられないショートショートの神様に23歳で触れさせてもらい、ドラマはドラマでまた凄い人たちがいたんですよ。これはニッチな複線主義で生き残るしかないなあと、逆に腹が据わりました。
ちなみに一芸は究めても究めなくても本人の自由で、強要さえされなければいい。根性論が苦手でずっと避けてきた私は、そこを強要したがる人ほど残念な方が多いような気がします(笑)」
本人も忘れた話に実は意味がある
ビジネス書の体裁を借り、「新人」「人脈」「リスク」など全6章から成る本書は、1話1話の完成度が見事。
〈「くだらない」と「おもしろい」の差は紙一重〉〈「くだらない」と「つまらない」の差も紙一重〉
〈では、いったいどっちにはさまっている紙が薄いのか?〉等々、時に落語のサゲを思わせる。
「私は結局、面白いことが好きで、物事を真っ直ぐに見られないんですよね。例えば歴史を扱う場合も、勿体ぶるのが大嫌いなんで、ちょっと変なものを書く。そうでないと頼む人も私に頼んだ意味がありませんから。
落語『黄金餅』の見せ場で道中付けってあるでしょ? あれは、下谷の山崎町から麻布絶口釜無村木蓮寺まで延々と経由地を羅列して、志ん生だと『私もくたびれた』で締めるんですけど、私は私でペリーが浦賀に来るまでの経路を『東海岸のノーフォークを出まして』と延々書くわけです。根がパロディ好きなもので。
すると編集者は『わかりにくい』と当然文句を言う。でも落語好きなら、これは志ん生の道中付けだなって、大半の人がピンとくるし、別にわからなくてもいいと思うんです。むしろわからなくて違和感のあるものが後々『あ、そうか!』ってわかるための爆弾を数多く置いとく方がいいと思うし、面が白くなるってそういうことでしょう?
僕も昨年、蛋白質の蛋は皮蛋の蛋で、蛋は卵かって、長年の謎が解けた思いがしたんです。目の前の視界がパッと開けて光が差す。そういう知的発見を伴う面白いが、私の書きたい面白いなんです」