ライフ

【逆説の日本史】獄中で書かれた「イエス抹殺論」に隠された幸徳秋水の「本音」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 最終回」をお届けする(第1345回)。

 * * *
 すでに述べたように、「大逆事件の主犯」とされた幸徳秋水は、その代表作『廿世紀之怪物 帝國主義』において、明治天皇(当時はまだ今上天皇)については鋭く批判するどころか、むしろ賞賛している。「天皇は平和を好み世界の幸福を願っておられ、いわゆる『帝国主義者』ではいらっしゃらないようだ」と述べている。しかし、帝国主義を撲滅しようとするなら当然その実行者の一人である専制君主も排除しなければならないはずで、この態度は矛盾していると言っていい。そこで私は、本連載の第一三四一回(五月二十七日号掲載)で次のように書いた。

「これはいったいどうしたことか。この本の目的は帝国主義撲滅を訴えることだから、ほかの部分で無用な摩擦を避けようとしたのか。つまりこれは外交辞令なのか。それとも幸徳の本音なのか。この点については幸徳の別の著作も視野に入れて検討しなければいけないので、とりあえずは措く」

 ここで、このとき保留にした問題、つまり「幸徳秋水の本音」を追究してみたい。その解明の大きなヒントになるのが、「幸徳の別の著作」である『基督抹殺論』である。「キリストを抹殺する」というこの物騒なタイトルの著作は、幸徳の事実上の遺作と言ってもいい。なぜ「事実上」なのかと言えば、逮捕前からこれを書き始め獄中で完成させた幸徳は、最後の著作として『死刑の前』を書き始めたからである。

 ところが、目次を作り全体を五章構成にし、第一章「死生」を書き終えたところで死刑に処せられてしまった。だから、完成した著作としては『基督抹殺論』が最後のものとなるわけだ。その内容をかいつまんで紹介しよう。例によって原文は現代人にとっていささか難解なので、テキストとして『現代語訳 幸徳秋水の基督抹殺論』(佐藤雅彦訳 鹿砦社刊)を用いる。〈 〉内(引用部分)はこのテキストによることをお断わりしておく。

 序文は、〈私は今拘えられて東京監獄の一室にいる〉という文章で始まる。そして神奈川県の湯河原で療養を兼ねて本書の執筆を進めていたが、突然逮捕されて東京に送られ五か月の空しい時が過ぎたが、予審(戦前に行なわれていた、一種の予備裁判)も終わり自由な時間ができたので執筆に取りかかった、と経緯を述べている。そして、獄中という執筆には最悪の環境のなかで病身に鞭打ってまで本作を完成させたのは、決して満足のいくじゅうぶんな出来では無いものの、たぶんこれが自分の最後の著作となる。だからこそ、自分の知る限り誰も明確に述べたことの無い〈史的人物としての基督の存在を否定して、十字架なんぞ生殖器の表示記号を変形させたものにすぎない〉ことを〈結論づけ〉、世に問うために本書を完成させた、と述べている。

 つまり、キリスト教の否定もそうだが、そもそもイエスすら歴史上の実在の人物では無いのだと証明するために、幸徳はこれを執筆したというのだ。それゆえにキリスト教批判を飛び越えたイエス抹殺論になるわけである。幸徳はまず、イエスの言行を四人の弟子、マルコ(馬可)、マタイ(馬太)、ルカ、ヨハネ(約翰)が記録した『新約聖書』の四つの福音書に、肝心な点において異同や矛盾があると述べる。

〈耶蘇の奇跡的な生誕のことを、馬可および約翰の福音書は記していないし、彼の昇天のことを約翰および馬太の福音書はまるで知らぬかのような書きようなのだ。人類の歴史の最も重要な二大事件であり、ことに基督が神であることを証明する最も貴重な二大事件であるのに、どうしてこれらの福音書は忘れ去ってしまったのか。忘却でないとすれば、なぜ黙って見過ごしているのか〉

 多くの日本人は、キリスト教世界でもっとも重要なお祭りをクリスマスだと思っているが、そうでは無い。たしかにクリスマス(降誕祭)は、キリストであるイエスが赤ん坊の形をとってこの世に降りてきたという重大な出来事を記念する祭りである。しかし、キリスト教徒にとってそれ以上に重要なのは、人間社会でしばらく時を過ごしたイエスが、十字架にかけられ一度は殺されたのに見事に復活し、自分は神だと証明したことを記念するイースター(復活祭)だ。

関連記事

トピックス

左:激太り後の水原被告、右:2月6日、懲役刑を言い渡された時の水原被告(左:AFLO、右:時事通信)
《3度目の正直「ついに収監」》水原一平被告と最愛の妻はすでに別居状態か〈私の夢は彼と小さな結婚式を挙げること〉 ペットとの面会に米連邦刑務局は「ノー!ノー!ノー!」
NEWSポストセブン
9月に成年式を控える悠仁さま(2025年4月、茨城県つくば市。撮影/JMPA)
悠仁さまが学園祭にご参加、裏方として“不思議な飲み物”を販売 女性グループからの撮影リクエストにピースサイン、宮内庁関係者は“会いに行ける皇族化”を懸念 
女性セブン
衆院広島5区の支部長に選出された今井健仁氏にトラブル(ホームページより)
【スクープ】自民広島5区新候補、東大卒弁護士が「イカサマM&A事件」で8000万円賠償を命じられていた
週刊ポスト
V9伝説を振り返った長嶋茂雄さんのロングインタビューを再録
【長嶋茂雄さんロングインタビュー特別再録】永久不滅のV9伝説「あの頃は試合をしていても負ける気がしなかった。やっていた本人が言うんだから間違いないよ」
週刊ポスト
“超ミニ丈”のテニスウェア姿を披露した園田選手(本人インスタグラムより)
《けしからん恵体で注目》プロテニス選手・園田彩乃「ほしい物リスト」に並ぶ生々しい高単価商品の数々…初のファンミ価格は強気のお値段
NEWSポストセブン
山尾志桜里氏(=左。時事通信フォト)と望月衣塑子記者
山尾志桜里氏“公認取り消し問題”に望月衣塑子記者が国民民主党・玉木代表を猛批判「自分で出馬を誘っておいて、国民受けが良くないと即切り捨てる」
週刊ポスト
「〈ゆりかご〉出身の全員が、幸せを感じて生きられるのが理想です。」
「自分は捨てられたと思うのは簡単。でも…」赤ちゃんポスト第1号・宮津航一さん(21)が「ゆりかごは《子どもの捨て場所》じゃない」と思う“理由”
NEWSポストセブン
浅草・浅草寺で撮影された台湾人観光客の写真が物議を醸している(Xより)
「私に群がる日本のファンたち…」浅草・台湾人観光客の“#羞恥任務”が物議、ITジャーナリスト解説「炎上も計算の内かもしれません」
NEWSポストセブン
ブラジルを公式訪問されている秋篠宮家の次女・佳子さま(時事通信フォト)
《スヤスヤ寝顔動画で話題の佳子さま》「メイクは引き算くらいがちょうどよいのでは…」ブラジル訪問の“まるでファッションショー”な日替わり衣装、専門家がワンポイントアドバイス【軍地彩弓のファッションNEWS】
NEWSポストセブン
2013年大阪桐蔭の春夏甲子園出場に主力として貢献した福森大翔(本人提供)
【10万人に6例未満のがんと闘う甲子園のスター】絶望を支える妻の献身「私が治すから大丈夫」オリックス・森友哉、元阪神・西岡や岩田も応援
NEWSポストセブン
ヨグマタ相川圭子 ヒマラヤ大聖者の人生相談
ヨグマタ相川圭子 ヒマラヤ大聖者の人生相談【第24回】現在70歳。自分は、人に何かを与えられる存在だったのか…これから私にできることはありますか?
週刊ポスト
「週刊ポスト」本日発売! 食卓を汚染する「危ない輸入冷凍食品」の闇ほか
「週刊ポスト」本日発売! 食卓を汚染する「危ない輸入冷凍食品」の闇ほか
NEWSポストセブン