師匠は元・稀勢の里と名跡交換
現役中に年寄名跡が取得できない場合、借株を渡り歩いて定年などで空く年寄名跡の取得を目指すことが多い。現在、高砂一門の「錦島」(2021年6月退職の元大関・朝潮所有)と伊勢ケ浜一門の「友綱」(2022年6月退職の元関脇・魁輝所有)が空き株になっている。ただ、松鳳山は借株でも協会に残らなかった。協会関係者がこう言う。
「本来、部屋の功労者は師匠から年寄名跡を譲り受けるものだった。先代の遺族の面倒を一生見ることなどが条件とされたが、今は一時金を支払って買い取るようなかたちになっている。そのため資金力のある力士が取得することになる。部屋の力士より一門の力士、一門の力士より他の一門の力士に譲ったほうが高い価値になる。表向きは売買が禁止されているが、指導料などのかたちでの先代との金銭のやり取りもあり、旧態依然とした年寄名跡の制度が大きな壁となった」
今回、好角家たちがクビを傾げたのは、師匠である元・若嶋津が1月場所中に65歳の定年を迎えていたにもかかわらず、弟子の松鳳山に年寄名跡を譲らなかったことだ。もともと「二所ノ関」の名跡を所有していたが、昨年12月、元横綱・稀勢の里と名跡を交換し、荒磯親方として定年後の再雇用制度を利用して参与として協会に残っている。相撲ジャーナリストが言う。
「松ケ根部屋を興した元・若嶋津は、その後、名跡交換して二所ノ関部屋となった期間も通じて7人の関取を育てた。その出世頭が松鳳山だった。それゆえ、松鳳山が部屋を継承するものと見られていたが、定年直前の昨年12月に部屋付きの放駒親方(元関脇・玉乃島)に弟子を引き継ぎ、『放駒部屋』と改称。元・若嶋津は部屋付き親方となった。この段階で松鳳山に名跡を譲ることもできたが、若嶋津は参与として協会に残る道を選んだわけです。
背景には、師匠と弟子の間の“距離感”の問題があったとみられます。元・若嶋津と松鳳山は手が合わないことで知られている。松鳳山は相撲に対しては真摯だが、私生活で手を焼くところがあった。2010年の野球賭博事件でも、賭博に関与していたうえに、それを申告せず本場所に出場していたことが発覚。解雇されるところだったが、師匠の尽力により2場所出場停止で収まった経緯がある。そうしたこともあってか、元・若嶋津は松鳳山よりも、役場勤務から脱サラして角界入りした幕内力士・一山本のほうをかわいがっているという。5年後に一山本に名跡を譲るのではないか」
年寄名跡は一門の勢力とも密接に関係する。各一門の利益代表を選ぶ意味合いを持つ理事選においての「1票」になるからだ。そのため一門外に出ることへのハードルが高いが、一門内での受け渡しには寛容だ。つまり、松鳳山も二所ノ関一門内で取得を試みることはできたはずだが、そうした動きを見せた形跡がないという。前出・協会関係者が続ける。
「一門の重鎮の尾車親方(元大関・琴風)は、元・若嶋津とは4大関時代のライバルであり盟友。他にも、同期であり同じ二子山部屋に所属した花籠親方(元関脇・大寿山)が理事として一門内の影響力が強いなど、松鳳山は師匠である元・若嶋津の協力がなければ一門内でも手当てが難しい状況があった」