慶大の清原正吾選手(共同通信社)
「ただ、かなり苦労もあったみたいです。ユーザーのニーズをキャッチするのが難しかったみたいで、悩んでいた姿もありました。“メルカリでこんなに安く売ってるの”と嘆いていたこともありました。それでもめげなかったのは、母としてのプライドがあったからだと思います」(ファッション誌関係者)
亜希はこの6月に、5年ぶりの地上波テレビ出演も果たした。偉大な父の存在を教えられ、母の奮闘を見た子供たちは大きく成長した。
正吾選手は、小学生の頃は野球チームに所属していたが、中学・高校は別の競技に打ち込んだ。野球から離れたのは、父親の騒動も影響した。6年間のブランクがある。それでも甲子園経験者など全国から有望選手ばかりが集う慶應義塾大学の野球部で、チャレンジを続けている。
「正吾くんは、父親である清原さんから譲り受けたファーストミットとバッティンググローブを使っています。小学校で泣く泣く野球から離れたのは、清原さんの騒動の影響が大きかったようですが、年齢を重ねて大人になるにつれ、改めて父親の大きさに気付いて、悔いを残さないよう野球に戻った。
直接指導できる機会は少ないですが、正吾くんに清原さんがアドバイスを送ることもあるそうです。亜希さんは、野球の指導はできませんからね。
亜希さんは直接清原さんと連絡を取り合うことはありませんけど、野球に夢を見出して、父親の背中を追う正吾くんと、清原さんのことを優しく見守っているようです」(別のスポーツ紙記者)
離れたところから、亜希は元夫と息子の「父子鷹」を応援している。