それもそうだろう。人にはカタコトより流暢な言葉使いを好み、それを正しいと思う「流暢性の処理」という心理的傾向がある。わかりやすく、聞き取りやすく、理解しやすいほうに価値をおき、信用するのである。美しい日本語を話さなければ、正しい日本語を使わなければといわれてきた世代には尚更だ。
だが共演者に突っ込まれようと、いかに批判されようと、滝沢さんはおかしな日本語を駆使して真面目に話し、それがいかにも楽し気だった。慌てて取り繕うこともなく、ちょっと恥ずかし気に顔を赤らめたり、照れ笑いしながら、さらに独自の感覚的表現を繰り広げながら懸命に説明していた。それは今も変わらない。仕草や表情は言葉を補完する役割も持つものだ。言葉使いや発想のユニークさ、面白さだけでなく、彼女のこんな表情や態度があったからこそ、カレン節は作られたキャラというより、彼女自身の個性として受け入れられてきたのだと思う。
そしてカレン節は、聞いている人たちに頭を使わせる効果がある。おかしな日本語の説明を理解しようと、視聴者は想像を働かせ、映像を思い浮かべようとする。おそらくそれが、カレン節がクセになる理由ではないかと思う。自由な表現で、発想を飛ばす滝沢さんのカレン節。そこにあるのは、『プレバト!!』の夏井いつき先生で人気となった俳句と同じような面白さだろう。
「これからは二人と3匹で、さらに楽しい冒険に出発します」と、これからの結婚生活を語った滝沢さん。料理本『カレンの台所』(サンクチュアリ出版)風にいえば、テカテカの愛情パックで帰り道が恥ずかしくなるほど潤いにみちたご主人と犬たちがいたら大成功、ってことだろう。