「吉永軍団」の松田昇氏(時事通信フォト)
資料課の手柄
“縁の下の力持ち”である事務官も優秀な人材が集った。
「中でも有名なのが、特捜部資料課の田山太市郎さんと水野光昭さんです。資料課の事務官は膨大な証拠を整理し、検事と二人三脚で捜査を進めるので、優秀でないと務まらない。
両名は米司法省の資料を受け取るという超重要任務でアメリカに派遣されました」(高尾氏)
吉永のもと、総力を結集したチームはついに待望の日を迎える。
「今から田中を逮捕する。松田君が田中宅に入った」
アメリカ滞在中の堀田氏に吉永から電話が入ったのは1976年7月27日午前6時半(日本時間)。
この日、松田と事務官の田山、水野は東京・目白の田中邸を極秘裏に訪問しており、任意同行を求めたうえで逮捕状を執行した。
この逮捕は吉永の慧眼がもたらしたものだと高尾氏が指摘する。
「普通ならこのような大事件は国会議員や官僚、秘書など周囲の人間から攻めていきます。ところが吉永さん率いる特捜部は最初から田中角栄に狙いを定めて、一気に逮捕まで持っていった。いわば頂上決戦という斬新な捜査手法が特捜部の歴史に残る成果に結びつきました」
大手柄を挙げた吉永は1993年12月、第18代検事総長に就任した。旧帝国大学出身以外で検察のトップに上り詰めた、初の検事総長だった。
ジャーナリストの田原総一朗氏が語る。
「田中陣営の弁護士に話を聞いたのですが、詳細な調査の結果、検察の主張には齟齬もあったようです。特に合計4回あった現金の受け渡しは、曖昧な点が多い。
今なお、あの逮捕劇には議論もありますが、それでも逮捕まで持っていく“豪腕ぶり”が当時の東京地検特捜部にはあったのでしょう」
