高橋氏と森氏との“蜜月”に捜査が及ぼうとしている(時事通信フォト)
森の自宅まで通っていた
そして逮捕された贈賄三人組のうち、残る青木拡憲の実弟、宝久がもう一人のキーパーソンである。前号(週刊ポスト2022年9月2日号)で報じたように、“五輪のご意見番”森喜朗の自宅まで通い、スーツの仕立券をプレゼントしていた張本人が、宝久だといわれる。
AOKIグループは、本業の「ファッション事業」のほか、「アニヴェルセル・ブライダル事業」、や「エンターテイメント事業」を展開している。プライベートサロンで森がカラオケを歌ってきた件もまた前号で触れたが、宝久は兄から漫画喫茶の『快活CLUB』やカラオケルームの『コート・ダジュール』の経営を任され、エンターテインメント事業を取り仕切ってきた。
「特捜部は宝久を五輪関係で接待をしてきた中心人物だと見て逮捕したのだと思います。今のところ、表に出ているAOKIからの賄賂は高橋のコンサルタント料にとどまっているけれど、接待や贈り物も賄賂と見なすことができる。特捜部はそこを押さえたいから、宝久を逮捕したのかもしれません」(前出・検察関係者)
これまで特捜部の調べで判明しているAOKI側から高橋に渡った金銭は、コンサルタント料や五輪のオフィシャルスポンサー料の5億円を含めた8億あまりである。そのうち高橋は五輪の強化費と称して2億5000万円を受け取り、契約窓口となった電通側に支払った2000万円を差し引いた2億3000万円が高橋のコンサル会社コモンズに送金されている。高橋はさらにここから日本馬術連盟と日本セーリング連盟に五輪の強化費として数千万円を支払い、1億5000万円を手元に残したという。
その残金について、特捜部の調べに対し、高橋本人はステーキハウスの赤字補填や不動産取引の借金返済などに使った、と供述しているが、金に色はない。なにより当人が扱ってきた不透明な五輪マネーは、1億円どころではない。世間の関心は、政治と一体化した五輪利権を解明できるか、そこにある。
弟が5億円を肩代わり
1967年4月に電通に入社した高橋治之は、1977年に「サッカーの王様」ペレの引退試合興行を日本でおこない、一躍スポーツビジネス界で注目されたと報じられている。もっともこのときはまだ入社10年の若い電通マンに過ぎない。むしろ高橋が斯界に勇名を轟かせたのはもっとあとの1980年代後半である。実弟の治則の経営するリゾート会社『イ・アイ・イ・インターナショナル』の資金力を背景に、兄の治之はさまざまなスポーツイベントを仕掛けた。
「プライベートジェットでペレを日本に連れてきたと話題になったのは、ちょうど中曽根(康弘)政権のときでした。そのあと軽井沢の中曽根さんの別荘にペレを連れて行って中曽根さんとテニスをさせたりね。私も一緒でしたから、よく覚えていますよ」
そう振り返るのは、元新自由クラブの山口敏夫だ。山口は1984年11月にスタートした第二次中曽根第一次改造内閣で労相に抜擢され、中曽根とも親しくなる。また高橋治之は1988年3月、東京ドームのこけら落としに世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンを呼び、タイトルマッチを企画した。山口はそこに招待されたという。
「あのときは私もハチ(高橋治之のこと)からリングサイドのチケットを2枚もらいました。誰を誘うか迷っているうち行く相手が見つからず、家によく来ていたマッサージのおばちゃんといっしょに観戦したんだ。あっという間に試合が終わって拍子抜けでしたけど」