ここに書いたのは油揚げ世界の氷山の一角ぐらいに感じます
炊き込みご飯やみそ汁の具に入っているだけでごちそうになり、味わいが豊かになるが、人によっては貧しい食事のように感じられるのが、油揚げの特徴でもある。
『御馳走帖』の著書もある作家内田百?は、「じゅんじゅん」焼いて、醤油を垂らすと「ばりばり」と跳ねる油揚げを「ジンバリ」と呼んで愛好していた。だがあるとき、喜んで食べていたはずの客のひとりが、「人の顔さえ見れば、油揚げを焼くので弱っちまう」と言っていたと人づてに聞く悲しいエピソードが本の中で紹介されている。
2020年に公開され話題になったドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』も取り上げられている。小川淳也衆議院議員が地元香川の自宅アパートの部屋で、ネギを乗せた油揚げをおいしそうにほおばる場面は、質朴な人柄を感じさせて、強く印象に残る。
「映画の内容そのものも、すごく面白かったですけど、この本を書いている途中で映画を見たものですから、あの場面は、ものすごく刺さって。『あーっ!』って声が出そうになりました」
「あぶたま」「きつねうどんの反対」など、平松さんが考えた、おいしそうな油揚げ料理のレシピが45種類も巻末に掲載されている。35年来の友人である、フードスタイリストの高橋みどりさんとの対談で出てくる、料理家細川亜衣さんの、焼いた揚げに醤油を垂らして指で塗るシンプルな食べ方も、ぜひとも試してみたい。
「あげ」「おあげ」「あぶらげ」「おきつね」など油揚げの呼ばれ方はさまざまだ。ちなみに平松さん自身は、高校生ぐらいまで「あぶらーげ」だと思っていたそう。本のタイトルの「おあげさん」は、油揚げに人格が宿っているみたいで、本を読み終えた後では敬意をこめて「おあげさん」と呼びたくなる。
「最初は、一冊書けるかな、と不安に思っていたのに、書き終わったいまは、もっともっと書くことはあったな、と思います。ここに書いたのは油揚げ世界の氷山の一角ぐらいに感じます。
油揚げを主人公にしたアニメーションをつくったら面白いと思うんですよね。きっと、味わい深い表情の主人公になるんじゃないかな」
【プロフィール】
平松洋子(ひらまつ・ようこ)/1958年岡山県生まれ。エッセイスト。食と生活、文芸と作家をテーマに執筆している。2006年『買えない味』で山田詠美さんの選考によりBunkamuraドゥマゴ文学賞、2012年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、2022年『父のビスコ』で読売文学賞(随筆・紀行賞部門)を受賞。著書に『夜中にジャムを煮る』『サンドウィッチは銀座で』『食べる私』『日本のすごい味 おいしさは進化する』『忘れない味』『肉とすっぽん』『下着の捨てどき』ほか多数。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2022年9月8日号