自然の音、生活の音、兵器の音、さまざまな音に彩られた映画『この世界の片隅に』だが、無音になる瞬間がある。それは、物語の重要な分岐点となる、不発弾が爆発する場面。なぜ、ここで、無音となったのか――。映画史・時代劇研究家の春日太一氏が、音響効果担当の柴崎憲治氏に聞いた。
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柴崎:あの場面は、最初は音を入れていたんですよ。爆発の音なども全て付けていました。ですが片渕須直監督とも相談した上で、「音をつけるのはやめよう」ということになったんです。音がないほうが、あの衝撃的な世界観が出ますから。
花火のようなチチチっていう音を入れたのは監督の発想です。実際に音をつけたのは僕だけども、ああいう感じにしたいと言い始めたのは監督です。あそこで幻想的な、別の世界にひきこまれてしまうのは、爆発がなくてもわかるだろうという話になったのです。「静かな中であの世界に入ったほうが、より戦争の残酷さが出るんじゃないの」と監督と話をしました。
「真っ暗な画」というのがいいじゃないですか。それは「お先真っ暗」ということですよ、それに音をつけると、あの印象が弱くなっちゃうんですよ。音がないことによってインパクトが出てくる。
――作品にとって最重要な場面ですから、そこは監督も柴崎さんも大事な選択になってきますね。
柴崎:だから、監督もそこはものすごく考えていたと思うんです。多分、迷ったんじゃないですかね。
―― 一度音を入れてみたからこそ「必要ない」と気づけた、と。
柴崎:必ず一度はやってみるんですよ。音をつけてみないと分からない時があるんです。最初から音を引いてしまうのは変ですから。
つないでいた手がなくなり、子供も死んでしまう――その現実を受け入れることができない表現として「暗闇」があるので、音では表現しなくてもいいと思いました。「沈黙」で表現するのも、それは一つの音の表現じゃないかと。音がないことも音ですから。
音をつけるばかりが音じゃないんです。そこは監督も分かっていたと思いますよ。といっても、無音というのは何か所も使えないんですよね。一つの映画で一か所か二か所。
それで初めて効果的になる効果音として役に立つという気がします。音がすべてあることが音でもないし、無音でも音がないということではないんですよ。
――『この世界~』の戦争音で感じたのは、『プライベート・ライアン』の冒頭に近い恐怖です。一つ一つの銃弾の音が死を予感させる、そんなリアルで恐ろしい金属音があちこちから飛んでくる。
柴崎:あれは僕も勉強しました。ゲイリー・ライドストロムの効果音の構成の仕方は素晴らしい。