組織改革を進める六代目山口組で最高幹部が急逝した(司忍組長。時事通信フォト)
六代目山口組側の一方的な宣言により約10年に及ぶ分裂抗争が終結してから3ヶ月。竹内照明若頭の指揮のもと、急速な組織改編を進める六代目山口組に衝撃が走った。
7月9日、若頭補佐である津田力・倉本組組長が急逝したのだ。66歳だった。実話誌記者が語る。【前後編の前編】
「若頭補佐はその名の通り、組織の実務を担う若頭を補佐する立場で六代目山口組の執行部に位置する最高幹部ポジションのひとつです。
津田若頭補佐は長年、肝臓の持病を抱えていたようで、死因もそれによるものと聞いている。とはいえまだ66歳。訃報は9日夜に界隈に広まったが、暴力団関係者、マスコミの間でも驚きの声が広がっている」
津田若頭補佐が率いていた倉本組は山口組の名門組織として知られる。五代目山口組の若頭補佐を務めた倉本広文・初代組長が興した組織で、津田若頭補佐も盃を交わして渡世入りしている。また、神戸山口組から再分裂した絆會の織田絆誠会長も倉本組出身として知られている。
「1998年、倉本初代組長が急逝すると、跡目を決めていなかったこともあり、倉本組は倉心会と貴広会に分裂。津田若頭補佐は倉心会に所属し、本部長として組織を運営していました。
2008年に倉心会会長になり、六代目山口組直参に昇格。一方の貴広組は、倉本組に改称したものの、分裂抗争勃発直後の2015年に当時の組長が山口組を除籍になったことなどあり、津田若頭補佐が2つの組織を統合し、現在の倉本組組長となった。
津田若頭補佐は分裂抗争を指揮した六代目山口組の高山清司前若頭(現・相談役)、司忍組長の評価も高く、早いスピードで若頭付、組長付、そして若頭補佐に昇格しています。倉本組は分裂抗争における“貢献”も大きかった。神戸山口組の中核組織・山健組(当時)に執拗に抗争を仕掛け、神戸山口組の井上邦雄組長の別宅にも銃撃を行なっている。
神戸山口組側も津田若頭補佐にターゲットを定め、自宅にトラックを突っ込ませるなど、倉本組は抗争の中心にいた組織の1つであることは間違いない」(同前)