読者と同目線で掘り下げていく
〈一見穏やかな山村にも、複雑な人間関係や事情があり、それに翻弄される人たちがいる。人が集まるところに様々な軋轢が生まれるのは、畢竟、都会も田舎もさしたる違いはないということなのだろう〉と綴られるように、町に忍び寄る人々がいれば、その行動の奥底には真意がある。
主人公の目で読み進めるうちに、ひとつの事象が意外なところで別の事象と重なり合い、次々とパズルのピースがはまっていくような後半の展開は実にスリリング。ミステリ作家の本領発揮というところだが、執筆はいつでも「出たとこ勝負」。先が読めてしまうと面白くないのは、読者も作家も同じだという。
「いつもプロットなしで書いているので、先のことはまったくわからないんですよ。小説にきくしかない。よくよく自分の書いているものを読んで、そこに何が埋まっているのかを読者と同じ目線で掘り下げていくわけです。エンタテインメントの書き方は人によって違っていて当然」
小さな町に起こった事件の顛末は、寂れゆく地方の現実、さらには日本全体を覆う不穏さをも感じさせる。しかし、読後にどこか温かな手応えを感じるのは、作家本人が自らのルーツから受け取ったものを作品の中に余すところなく込めたがゆえだろう。
この作品の取材元として池井戸氏がもうひとり名を挙げたのが、自身の父だ。太郎の父同様、すでに鬼籍に入ったその人は、後に作家となる息子に、折に触れて地元の伝承や土地にまつわる逸話を語って聞かせた。
「町の中で起こった不思議な出来事とか、土地の名前の由来とか……。歴史が好きで、自分でも詩を書くような人間だったので、そういうものを息子に伝えなければという意識があったのかもしれません。だから僕としては、忘れないうちに書いておかなくてはならなかった。記録に残すという意味でも、書けてよかった作品だと思っています」
父と子を、過去と現在をつなぐ約束の地。太郎は、そこに腰を落ち着けた。翻って池井戸氏にも、田園作家としての将来が開ける可能性はあるのだろうか?
「無理でしょうね(笑)。実家に帰るとまったく書けなくなるんですよ。緊張感のなさから神経が緩んでしまうのか……。僕には東京の狭い仕事部屋が向いているということなんでしょう」
【プロフィール】
池井戸潤(いけいど・じゅん)/1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。1998年に『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、2011年『下町ロケット』で直木賞を受賞。『ようこそ、わが家へ』『ルーズヴェルト・ゲーム』『花咲舞が黙ってない』『民王』『陸王』『七つの会議』『株価暴落』『ノーサイド・ゲーム』など映像化作品多数。公開中の映画『アキラとあきら』に続き、10月にはWOWOW連続ドラマW『シャイロックの子供たち』が放送開始。
構成/大谷道子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2022年10月7・14日号