3回目の入院後、ついに逃げる決意をした紀子は、都内の公営施設を経てこのシェルターにやってきた。前の施設は期限が2週間で定員40名。対してここでは最大4名がゆったり暮らし、食事係も全て〈持ち回り〉制だ。パン工場の仕事にも就け、無事離婚が成立してここを出るまでには結構な給料が貯められるらしい。
皆でたっぷり食べてよく働き、夕食後はトランプや思考ゲームを楽しむ生活は、暴力を愛情と混同していた自分を省みる余裕を紀子に与え、連帯感もいや増した。全ては20年前にこの元別荘を買い、自立を見守る昭江達のおかげだが、その理想の空間がある秘密の仕事によって担保されてきたことを、紀子も後々知るのだ。
本作では紀子の語りと、千葉県警本部から館山署に飛ばされた〈北川薫〉の語りが並走。元警察庁幹部の父を持つ夫のDVを告発し、返り討ちに遭った格好の薫だが、彼女は組織の論理に阻まれようとも断固闘うつもりだ。
そんな中、管内の岩場で変死体があがり、潮の流れや胸のシリコンに着目した薫は、遺体の身元を大井町在住の飲食業〈今井美佳子〉32歳と特定。が、他殺説を一蹴され、またしても孤立した矢先、美佳子のヒモが急死し、自分と似た暴力の匂いを嗅ぎ取った薫の足は、やがて東京湾を挟んだ向こう側、湘南へと向かう。
妊婦や高齢者に席を譲りますか
「特にミステリーの場合は刑事役がいないと何ともなりませんからね(笑)。日本には根強くタテ社会がはびこっていますから、組織の命令や空気に従い、犯罪にすら加担しかねないのは、別に男女を問わない。
つまりDVもパワハラも構造は一緒で、『でも世の中、そういうものだから』と、習い性になるのが一番怖い。本当はどうでなきゃいけないのかを自分で考え、ダメならダメと、我慢しないで言わなくちゃダメなんです。自分の問題なんだから。
もちろん上司や教師もその点は重々自覚すべきですが、例えば世界平和とか、聞こえのいい抽象的な言葉を丸ごと信じちゃうと、微妙な変質に気づけない。仲間や連帯も同じですよね。その一見美しい言葉に縛られ、行動までおかしくなる前に、ちゃんと自分の頭で具体的に考えないと」
物語後半、ある人が言う。
〈夫や父親だからなにをされても我慢しなくてはいけない、殺されても文句を言うな、そんな馬鹿な話はないわ。法律は殺すなと言うけれど、それは違う。踏みにじられてきた者にとっては、殺されるな、なのよ〉