淑子さんは村田さんを「昭和生まれの明治男」と評した。1990年11月、新語・流行語大賞表彰式にて(写真/アフロ)
火事の2か月前、村田さんは別の事件で世間を騒がせた。9月23日、羽田空港の保安検査場で女性検査員への暴行容疑で現行犯逮捕されたのだ。
「一度金属探知機に引っかかった村田さんは、携帯電話を預けた。しかし、持ち込みのスーツケースにはさみが入っていたため結果は変わらず。ところが村田さんは、“ちょっとどいて”と立ちふさがった女性検査員の肩を押して、むりやり通ろうとしたのです。
はさみのことを忘れていた村田さんは、別の職員に“スマホを預けたのに、部下の教育はどうなっているんだ”と激高。押し問答の果て、女性検査員の肩を押した行為が暴行とされ、逮捕に至った」(前出・スポーツ紙記者)
村田さんは25日に釈放され、「もう一度、彼女に誠心誠意謝りたい」と陳謝し、年内の活動を自粛した。
「ライフワークの、子供向けの野球教室ができなくなったことをとても悔いていました。周囲には再起を誓って気丈に振る舞う一方で、まさか犯罪になるとは思っていなかったようで、かなり落ち込んでいた。逮捕後はほとんど引きこもり状態で、家にいるのに、電気すらつけていなかったそうです」(前出・スポーツ紙記者)
村田さん一家は、妻の淑子さん、長男、長女の4人家族だ。しかし、晩年の村田さんは、世田谷の家にひとりで暮らしていたという。
「お子さんはとうに独立しています。17年間、プロ生活を献身的に支えた奥さんも、10年以上前に家を出たそうです。家族の介護で地元の神戸に帰っていた時期もあったそうですが、現在は、都内の高級マンションで生活していると聞いています。
暴行で逮捕されたときの身元引受人は、奥さんではなく村田さんの弟さんでした」(前出・スポーツ紙記者)
これが村田家のスタイル
淑子さんは村田さんの2才年上で、短大卒業後、キャセイ・パシフィック航空に入社。英国留学の経験もある社長令嬢だ。ふたりの出会いは1973年で、同年12月、交際3か月半で結婚。以降はプロ野球選手の妻として献身を続けた。
「子育てと家事はすべて淑子さんが担当し、日々のおかずは13品以上用意。ただ、村田さんが気に入らないと、料理が並ぶちゃぶ台をひっくり返されることもあったそうです。
淑子さんは常に気を使っていましたが、すべて夫がいい状態で試合に臨めるようにと一心に願っての行動でした」(別のスポーツ紙記者)
村田さんの口癖は、「野球に口は出さないでくれ」。淑子さんのサポートにより、当時はほとんど前例のなかった手術をアメリカで受けて奇跡の復活を遂げた際にも、その姿勢は変わらなかった。
「村田さんは九回までひとりで投げ抜く完投を信条としていたため、復帰後も球数を多く投げた。負担を心配した淑子さんが『もう少しひじを大事にしたら』と声をかけると、村田さんは『だったらお前が投げてみろ』と言って黙ってしまったといいます」(前出・別のスポーツ紙記者)