2000年1月、「東宝シンデレラ」オーディションでグランプリに選ばれる(写真/産経新聞社)
「やめたいなあ」
1999年夏、長澤は母と2人で原宿を訪れていた。
当時小学6年生。家族は母と兄、そしてJリーグ参入前のジュビロ磐田の初代監督を務めた父・和明氏の4人。静岡県磐田市で暮らしていた長澤は東京に遊びにきていたところ、モデル事務所のスカウトに声をかけられた。突然の出来事に驚いたというが、これが「テレビに憧れを抱いていた」という長澤が芸能界へ進むきっかけになった。
〈原宿でスカウトされた時に、できるかも?と少し自信がつき、東宝シンデレラ募集の新聞広告を見て。初めて履歴書を送れたんです〉(『週刊プレイボーイ』2003年9月16日号)
2000年1月、「東宝シンデレラ」オーディションでグランプリに選ばれる。当時、史上最年少となる12歳での受賞だった。アイドル評論家の中森明夫氏が振り返る。
「12歳という年齢に驚きました。しかも当時から彼女は身長が高く小顔で手足が長い。受賞後に感極まって泣き出す姿も美しく、将来はとんでもない女優になるのでは、と感じました」
女優としての日々はすぐに始まった。同年に公開された映画『クロスファイア』でデビュー。しかし自然豊かな土地で育った長澤にとって芸能界は「不思議ばっかり」だったという。デビュー作で共演した桃井かおり(71)からは当時現場で、こう指摘されたと『クイック・ジャパン』(2006年8月号)で明かしている。
「ヤル気がなかったらやめていいのよー」
しばらくは静岡と東京を往復する生活が続いていたが、中2の春に単身で上京。当時の心境を長澤はこう振り返っている。
〈家族と離れてひとりで仕事をしてることが寂しくて、母親と電話で話しながら大泣きしたこともありました〉(『JUNON』2004年6月号)
中学卒業後は芸能人が多く通うことで知られる堀越高校に進学する。女優活動により一層力を入れることができる環境が整う中、2003年に転機となる作品と出会う。それが古厩監督の『ロボコン』だった。