歴史学者の論議のなかには、「この第二教育勅語は最初の教育勅語の改定なのか補正なのか」というものもあるようだが、そもそもこういう言葉を使うこと自体本質がわかっていないとしか言いようがない。では、西園寺がめざしたものをなんと表現すればいいかと言えば、「追加」だろう。歴史上も例がある。鎌倉幕府が作った武士の基本法「御成敗式目」が時代が下るに従って実情に合わなくなったとき、室町幕府は新法を作ってその不備を補ったが、決して「御成敗式目」の「改定」や「補正」などという言葉は使わず「建武以来追加」と称した。
念のためだが、この言葉には「足らざる部分を追加した」というニュアンスは無い。「足らざる部分」と言ってしまえば、それは「御成敗式目には不備がある」と認めたことになってしまうからだ。もっとも武士階級は天皇や取り巻きの公家と違ってリアリストだから、「この式目は時代遅れだ」などとうそぶいた人間も探せばいるかもしれない。しかし、天皇は違う。神の子孫であり、現世では神に等しい存在である天皇を批判できる者はいない。明治維新の荒波をくぐってきた人々はとくにそうだった。西園寺もその一人である。
だが、客観的に「神」では無く「人」の言葉として見るならば、最初の教育勅語の「足らざる部分」や「時代遅れの部分」は、フランス帰りの西園寺には当然見えていただろう。ただここが肝心だが、だからと言って西園寺にはそれを「改定」することも「補正」することもできない。それは天皇の神聖を著しく損なう行為になるからだ。成立したばかりの大日本帝国憲法にも「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス(第三條)」という規定がある。では、具体的には第二教育勅語をどのように構築すればいいのか?
まずは、この第二教育勅語はあくまで「改定」でも「補正」でも無く「追加」であることをわからせるために、第一教育勅語(今後はこのように呼称する)との連続性を強調することだろう。そして、次に臣民のなかには第一教育勅語の真意を理解せずに誤った方向に向かった者どもがいる、と指摘することだ。それが原文で言えば「朕曩キニハ勅語ヲ降タシテ教育ノ大義ヲ定ト雖モ、民間往々生徒ヲ誘掖シ後進ヲ化導スルノ道ニ於テ其歩趨ヲ誤ルモノナキニアラズ」というところに示されている。おわかりだろう、こうすれば「間違っているのは天皇では無く臣民のほうだ」と主張できるからである。
(文中敬称略。第1364回へ続く)
※週刊ポスト2022年12月16日号