実際に田中敬子が紹介されていた紙面
証言に嘘はなかった
筆者は急いで1953年の朝日新聞・神奈川版を取り寄せた。丹念に頁をめくっていくと、9月24日(木)に「県代表はだれに?」という見出しの比較的大きな囲み記事が見つかった。前文にはこうある。
《県教委、本社横浜支局共催の本年度県健康優良児童審査会は二十六日午前九時から横浜市西区西中学校に各郡市から選ばれた五十一名(男子二十六名、女子二十五名)が参加して開かれる。郡市代表児童は次の通り》(昭和28年9月24日付/朝日新聞・神奈川版)
次いで郡市ごとの一覧が(男子)と(女子)に分かれて載っていた。目を凝らして、薄くて小さい文字を追っていくと「横浜」の欄にこう記してあった(カッコ内は学校名)。
《▽横浜 伊藤洋子(子安)武井静枝(西寺尾)田中敬子(間門)……》
「あった」
田中敬子は正真正銘、健康優良児だったのだ。証言に嘘はなかった。
次なる問題は、はたして「神奈川県代表」だったかどうかである。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)