「人種も国籍も違うけど中学生か高校生だから、すぐに打ち解けてね。中国の人もいたし、フィリピンの人もいましたね。いろんな話をしたり、みんなで踊りを踊ったり、お風呂に入ったり、自炊をしたり、早い話が国際交流を一ヵ所でやったんです。戦後10年ちょっとだから意義のあるでしょうけど、こっちは子供だから深く考えないで、ワイワイガヤガヤ、楽しくやってましたね」(田中敬子)
キャンプファイヤーの燃え盛る炎の前で「将来の夢」を一人ずつ発表した。「私は外交官になって、世界中を飛び回りたいです」と敬子が言うと、一人の少女が声をかけてきた。
「あなたも外交官になりたいの?」
長身で利発そうな彼女は、東京代表の高校1年生だという。
「そう。でも、思ったように英語が通じなくて」と敬子がこぼすと「そんなものどうにでもなるわよ」と少女は笑った。
都立駒場高校の1年生という彼女は「高校を卒業したら国際基督教大学に行くの」と言った。敬子にとって初めて聞く名前だった。
「あの大学は授業も日常会話もすべて英語。外交官になるのにぴったりなの」
「そうなんだ、私も行こうかなあ」
「そうなさいよ。私が先に行って待ってるから。一緒に外交官になりましょうよ」
彼女とは期間中いろいろな話をした。大会を終えた9月の日記にも登場する。
九月五日(水)
今日はとってもうれしいことあったの。
ゲイルから手紙が来たの。
外国のお友達からくるの初めてなので胸がわくわくしちゃった。
内容はたいしたことないけど、Eikoと一緒に遊びに来いって書いてあるの。行きたいわ。
さっそく手紙書いて送った。(原文ママ)