4月末で退団する蘭世惠翔(写真は宝塚歌劇団のホームページより)
当時の君島の様子を、先の友人はこう話す。
「小さい頃から娘さんが『宝塚に入って男役になる!』と言っているのを聞いていたので驚きました。十和子さんも、言葉にこそ出しませんが、最初は動揺したようでした。でも、『決断を応援する』と話していました」
振り返ると、宝塚への道のりは、愛娘が3才を迎えた頃から始まった。『マイ・フェア・レディ』を見て虜になった娘を、君島は“宝塚への登竜門”ともいわれる名門バレエ教室に通わせた。さらに、自宅では毎朝欠かさず、宝塚の有料チャンネルをチェック。月に2回は劇場に連れ出した。
「中学生になると“宝塚予備校”と呼ばれる歌や踊りの指導を受けられるスクールに通わせ、食事も美容も君島さんがしっかりと管理していました。受験の直前には、君島さんプロデュースの商品の広告を、宝塚のパンフレットに出稿するという“秘策”も試したようです」(芸能関係者)
だが、1度目の受験では吉報は届かず。娘以上にショックを受けた君島は自分の努力が足りなかったと泣きじゃくり、リベンジを誓った。
「家では試験用の課題曲を毎日流して、君島さんが歌唱チェック。受験に影響すると聞き、SNSも禁止した。試験の際はメイク禁止なので、素肌でも美しく見えるように、毎日日焼け止めを塗ることを徹底させていました」(前出・芸能関係者)
さらに、男役を目指すにあたり避けて通れなかったのが、「身長」だった。通い詰めたのは鍼灸院。背中の筋肉をほぐし、その後、骨を正しい位置に矯正することで、1年で2cmほど身長を伸ばすことが可能だという。そうした努力の末、2度目の受験で晴れて合格。卒業後は念願の男役でのデビューを掴んだ。
「結局、鍼灸院には2年以上も通ったそうです。宝塚では、身長のわずか数cmが役を決める重要なファクターになりますからね」(前出・芸能関係者)
この数cmが娘の宝塚人生を変えるとは、君島は夢にも思わなかっただろう。