情事の後、隠し扉から出る日潤。延命院は隠し部屋や隠し階段などが存在し、密会目的の寺院だったといわれている(国立国会図書館蔵)
奥女中の凄惨な脱走劇
十一代将軍・家斉の時に最盛期を迎えた大奥だが、風紀の乱れが最高潮に達するのもこの頃だ。もともと廃寺となっていた感応寺は、家斉の寵愛した側室・お美代の方の“おねだり”によって再興された。お美代の方の実父が日蓮宗の僧で、娘を利用して感応寺を再建したとされる。
制限の厳しい大奥にあって、寺院への参拝は唯一、外出が許可される貴重な時間。奥女中はせっせと参拝に繰り出した。その目的は、感応寺にいる若い美僧たちとの密通であった。禁欲を強いられていた彼女たちは、やがて参拝だけでは飽き足らず、長持ちの中に体を潜めて密かに城を抜け出し、僧たちに会いに出掛けるまでになったという。
しかし、家斉が死去すると、老中・水野忠邦が粛清を断行。感応寺も破却されることとなった。再建からわずか5年。感応寺は跡形もなく破壊されたという。
「ただ近年は、お美代の方が主導した大奥の醜聞事件説は否定されています。政権交代の折に、大奥に粛清の嵐が吹くことがありますが、この事件もそのひとつだったといえます」
※週刊ポスト2023年2月10・17日号