敬子さんの出版記念パーティーでは猪木にビンタをしたことも(写真提供/敬子さん)
「特にお祝いをした記憶はない」
数週間ほど経った師走のある日、日本航空の社印の押された封筒が届いた。合否通知である。恐る恐る開封すると「合格」とあった。
「わー、やったーって思った。人生で初めて心の底から嬉しかった瞬間かもしれない。外交官になりたかったくせに、もうすっかり忘れちゃって。でも、このときは本当に跳び上がるくらい嬉しかった」(田中敬子)
実弟の田中勝一はこのときのことを次のように回想する。
「スチュワーデスに合格したときのこと? ええ、憶えていますよ。ただ、特にお祝いとかご馳走を食べたとか、そういう記憶はないです。ウチはそういうことはしないんです。父も『よかったな』って言って終わり。そういう家風なんでしょうな」
「ただ、私自身は『姉さんすげえな』ってちょっと驚くっていうか、そういうのはありました。ずっと『敬子の弟』って呼ばれて来たんだけど、友達にも『お前の姉さん凄いな』って言われたこともありましたかね。まあ、最初から勝とうなんて思っちゃいませんがね(笑)」
敬子は即刻駿台予備校に出向き、退校届を出した。
新年から、晴れて日本航空の客室乗務員としての一歩を踏み出すのである。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)
