二〇二〇年の大ヒット映画『鬼滅の刃 無限列車編』のラストで流れる主題歌「炎」は、その壮大なスケールを感じさせるバラード調の楽曲が作品自体の余韻とマッチして、深い感動を呼んだ。どのような意識で音を創っていったのか、梶浦由記氏に、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がその魅力を聞いた。
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梶浦:曲が流れるシーンを想定して、「大きい歌」にしてあげないと、という思いはありました。少なくとも部屋でポツポツ歌っている感じの曲ではないなという気がしたので。屋外の場面ですし、非常に広いところで戦っていますし、世界観を俯瞰で見てもすごく大きいので、大きな感じで作りました。
――だから場面の余韻と合ってくるわけですね。
梶浦:やっぱり、最後に終わる場面が室内か外かで、イントロも変わると思います。アニメーションって、「広さ」を裏切らないほうがいいと私は思っています。実写作品は私たちの脳が表現の奧を補ってくれるので、音楽が広さを裏切っても平気なんです。今までの経験則から言って。
例えば、広い草原の場面でドライなピアノがポンと響いても、それはそれで、「ここは広い草原だけど、この音はきっと心の中のピ表現だから、こんなに狭く聴こえるんだな」とか。
人間って、実写だと無意識にその世界の外側までしっかり感じているのですが、アニメってどんなにきれいにつくっても実写ではないんですよね。ですからアニメで「狭い」音楽を流すと、映る空間の印象も一気に狭くなるんです。なので、アニメでは広い世界のときは広い音を作ってあげて、狭い部屋のときは狭い音を作ってあげる。空間の広がりのエフェクトを音楽で補佐するような気持ちでアニメの曲は作っています。
――そういった広さは、どの段階で意識されますか。ラッシュ(未編集の試写)、それとも完成映像を見てから……でしょうか。
梶浦:音楽を作るときにはまだラッシュはないので、背景画などをいただいたりして、広さを見ます。あとはセリフを自分で読んでみたりもしますね。
映画だと声優さんが読んだ音声が先に届くこともあるので、そういうときはありがたいですね。