ライフ

【逆説の日本史】金剛・ビッカース事件を一大汚職事件に仕立て上げた仕掛人は誰だ

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その7」をお届けする(第1377回)。

 * * *
 シーメンス事件いや金剛・ビッカース事件の背後には、「汚職の専門家」であった陸軍の法王山県有朋がいたのではないか、というのが私の推測である。歴史学者の先生方は否定するだろう。例によって「史料が無い」とおっしゃるのだろうが、そう言う向きは私が山県を「汚職の専門家」と呼んだ意味がまったくわかっていない。

 山城屋和助事件で、山県は危うく失脚するところだったのである。和助の「切腹」そして司法卿江藤新平の「失脚」という望外の幸運によって、山県はまさに「九死に一生を得た」。山城屋がすべての「史料」を焼却してくれたのも助かった。そういう人間がその後の人生でシッポをつかまれるような、つまり史料を残すようなマネをするはずが無いではないか。それが人間というものだろう。ましてや山県を研究すれば誰でもわかることだが、彼は慎重で綿密な性格だ。だからこそ軍略的才能はまったくと言っていいほど無いが、軍政畑で頭角を現わしたわけだ。

 それにもう一つ重要なことがある。山県にとっては陸相・海相現役武官制を復活させることは絶対の正義であり、それが彼の大正天皇への忠義でもある。結果的にこの制度は日本を滅亡に導いたが、山県がそれを大日本帝国にとって正しい政策だと考えていたのは何度も紹介したとおりだ。そもそも、この制度は山県内閣のときに成立しているのである。

 山県にしてみればせっかく成立させた正しい制度を、事実上廃止にしてしまった政友会そして山本権兵衛内閣はまさに国賊であり、明治を生きた人間の感覚で言えば絶対に放置してはいけない事態なのである。つまり、身体の不調があったとしても万難を排し、どんな手段に訴えても山本内閣は潰さなければいけない。それが維新の荒波を潜り抜けてきた男の感性というものである。

 しかし陰謀、つまり時効になっている「単純収賄罪」を起訴できる受託収賄罪に変えることは、専門家でなければできない。おそらくは山県の「なんとしてでも山本内閣を潰せ」という命令(もちろん紙に書くバカはいない)を受けて、金剛・ビッカース事件を一大汚職事件に仕立て上げた専門家がいるはずである。私はその人間に心当たりがある。平沼騏一郎である。

 平沼は一八六七年(慶応3)、美作国(現在の岡山県)で津山藩士の子として生まれ上京し、帝国大学法科大学を卒業した。この聞き慣れない大学はのちに東京帝国大学と呼ばれるが、それは西園寺公望の奔走で京都帝国大学が建学されて以降のことで、この当時の帝大は東京に一つしかないのでこう呼ばれた。昔はいまと司法制度が違い、司法省の官僚として採用された男子が判事や検事にも任じられる形だった。いくつかの裁判所で判事として勤務したのち、おそらく肌に合ったのだろう、検察畑に進んだ。問題はそのあとだ。ここで『国史大辞典』(吉川弘文館刊)の「平沼騏一郎」の項から、その後の経歴を抜粋する。

〈この時期日糖疑獄の処理や幸徳事件(大逆事件)の取り扱いで名を上げた。四十四年刑事局長に任ぜられる。大正元年(一九一二)検事総長に補せられ、以後約十年その地位にあった。この間、大正三年のシーメンス事件、翌四年の大浦内相事件、七年の八幡製鉄所事件などで腕を振るった。またこの間、明治四十年に法律取調委員、大正八年には臨時法制審議会副総裁に任命され、数多くの立法、法改正の事業に参画した。〉(以下略。項目執筆者伊藤隆)

 平沼の経歴は、これから先も延々と続く。なにしろ首相にまで上り詰めた人物だから。ただし、首相のときにともに反共産主義外交を進めていたドイツが、突然に共産主義の総本山とも言うべきソビエト連邦と相互不可侵条約を結んだことに仰天し、「欧洲の天地は複雑怪奇」という捨てゼリフを残し内閣総辞職したのは、平沼の政治家人生の最大の汚点だろう。また平沼はいわゆる右翼で、右翼団体を主宰したこともあり、元老西園寺からは嫌われていた。ということは、記録には残っていないが山県や桂太郎の腹心だった可能性はおおいにある。

 そこで経歴を見ていただきたいのだが、要するに平沼は大逆事件という桂太郎=長州閥によってデッチ上げられた日本最大の冤罪事件の仕掛人だったのである。しかも、その功績を賞せられ検事総長にもなっている。そして、この金剛・ビッカース事件はまさに平沼が検事総長時代の出来事なのである。

関連キーワード

関連記事

トピックス

大谷と真美子さんを支える「絶対的味方」の存在とは
《ハワイ別荘・泥沼訴訟を深堀り》大谷翔平が真美子さんと娘をめぐって“許せなかった一線”…原告の日本人女性は「(大谷サイドが)不法に妨害した」と主張
NEWSポストセブン
世界的な人気を誇るシンガー・d4vd(20)(Instagramより)
「行方不明の10代少女のバラバラ遺体が袋詰めに」世界的人気歌手・d4vdが所有する高級車のトランクに遺棄《お揃いのタトゥー「 Shhh…」で発覚した2人の共通点》
NEWSポストセブン
須藤被告(左)と野崎さん(右)
《紀州のドン・ファンの遺言書》元妻が「約6億5000万円ゲット」の可能性…「ゴム手袋をつけて初夜」法廷で主張されていた野崎さんとの“異様な関係性”
NEWSポストセブン
神田正輝の卒業までに中丸の復帰は間に合うのか(右・Instagramより)
《神田正輝の番組卒業から1年》中丸雄一、『旅サラダ』降板発表前に見せた“不義理”に現場スタッフがおぼえた違和感
NEWSポストセブン
イギリス出身のボニー・ブルー(本人のインスタグラムより)
「タダで行為できます」騒動の金髪美女インフルエンサー(26)の“過激バスツアー”に批判殺到 大学フェミニスト協会は「企画に参加し、支持する全員に反対」
NEWSポストセブン
ラーメン店の厨房は暑い(イメージ)
《「汗を落とすな」「清潔感がない」》猛暑で増えた「汗クレーム」 熱湯で麺を茹で上げるラーメン店やエアコンが使えないエアコン取り付け工事にも
NEWSポストセブン
主人公・のぶ(今井美桜)の幼馴染・小川うさ子役を演じた志田彩良(写真提供/NHK)
【『あんぱん』秘話インタビュー】のぶの親友うさ子を演じた志田彩良が明かすヒロインオーディション「落ちた悔しさから泣いたのは初めて」
週刊ポスト
寮内の暴力事案は裁判沙汰に
《いまだ続く広陵野球部の暴力問題》加害生徒が被害生徒の保護者を名誉毀損で訴えた背景 同校は「対岸の火事」のような反応
週刊ポスト
どんな役柄でも見事に演じきることで定評がある芳根京子(2020年、映画『記憶屋』のイベント)
《ヘソ出し白Tで颯爽と》女優・芳根京子、乃木坂46のライブをお忍び鑑賞 ファンを虜にした「ライブ中の一幕」
NEWSポストセブン
俳優の松田翔太、妻でモデルの秋元梢(右/時事通信フォト)
《松田龍平、翔太兄弟夫婦がタイでバカンス目撃撮》秋元梢が甥っ子を優しく見守り…ファミリーが交流した「初のフォーショット」
NEWSポストセブン
佳子さまを撮影した動画がXで話題になっている(時事通信フォト)
《即完売》佳子さま、着用した2750円イヤリングのメーカーが当日の「トータルコーディネート」に感激
NEWSポストセブン
国連大学50周年記念式典に出席された天皇皇后両陛下(2025年9月18日、撮影/JMPA)
《国連大学50周年記念式典》皇后雅子さまが見せられたマスタードイエローの“サステナブルファッション” 沖縄ご訪問や園遊会でお召しの一着をお選びに 
NEWSポストセブン