3月21日、亡き夫力道山のお墓を参った田中敬子
弟と握手した時に1万円札を……
数週間後のことである。
この夜はいつもより遅くなった「ちょっとまずいかな」という懸念が敬子の脳裏にもよぎった。近所の横丁まで差し掛かったとき、自宅の前に若い男が腕組みをして立っているのが見えた。
「あ、誰かいる」
力道山が一瞬気色ばむと、敬子は黙ってうつむいた。ベンツが自宅の前に停まると、男はつかつかと近寄って、窓を覗き込むように言った。
「どういうつもりですか、遅すぎますよ」
弟の勝一だった。
「姉さんがリキさんと付き合っているというのは、本人からは直接聞いてはないけど、薄々知ってました。私も大学に入学したばかりだから、姉の交遊関係を詮索するどころじゃなかったのもあります。にしても『このところ遅いよなあ』って思っていたのも事実で、その晩も11時近かったと思う。この頃は父親は茅ケ崎の官舎にいたから、横浜にいなかった。『親父がいないのをいいことに……。よし、一度ガツンと言ってやろう』って我ながらそう思ったんでしょうな」(田中勝一)
勝一が詰め寄ると、敬子はぼそっと「弟なんです」と明かした。すると力道山はすぐさま外に出ると「いやあ、悪かった。本当に申し訳ない」と勝一の右手を強く握った。
「握手しようということなんでしょうけど、掌に何か感触がある。そしたら、1万円を握らされてたんです。びっくりしました。大学初任給が1万円の時代だから大金ですよ。私が驚いてリキさんの顔を見ると、ニヤッと笑って『受け取ってくれよ』って顔をしたんです。いっぺんにリキさんのことが大好きになりましたよ」