清水が長年抱いていた“Uターン移住計画”
この日は還暦記念ライブだった
NEWSポストセブンが取材を進めると、ふたりの別れの背景の1つに、清水が長年抱いていた京都への“Uターン移住計画”もあったようだ。
「かねて清水さんは地元へのUターンを希望していましたが、神奈川生まれで生活拠点が東京にある香坂さんが首を縦に振ることはなかったと聞いています。
清水さんのお母さんは、小料理屋をしながら女手一つで息子たちを育てました。清水さんが子どもの頃、学校で問題を起こしたときは思い切り張り飛ばすような肝っ玉母ちゃんです。清水さんが勤め先のアパレルメーカーを辞めて吉本興業入りを決めたときも、『あんたはどうせサラリーマンじゃすまんやろと思ってた』と受け入れたそうです。
清水さんはそんな母親に感謝している一方で、香坂さんは気の強いお姑さんに対して“いけず(意地悪)な人”という印象を持っていたようです」(前出・清水の知人)
2022年4月、清水は《ここからは本名の「しみずけいた」くんとして フツーのおっさんから、やがてフツーのおじいさんになるべく 地味に静かに、人生を過ごして行こうと決めました》とブログ(削除済み)で突如、電撃引退を表明した。こうした背景で芸能活動の終盤は、京都に関する仕事が増えていた。