あらためて、彼らがなぜそのように考えたのか考えてみよう。あたり前のことだが、彼らは実際に現地に行って事件を目撃したわけでは無い。もちろん、岩田の「誘導」(殺人教唆の罪で有罪となっている)があったことには間違い無い。しかし、そもそもなぜ岩田の言葉に耳を傾ける気になったのか。当然そこには、ある程度の「予備知識」があったはずである。その予備知識をどこから得たかと言えば、実際には現地に行けなかったのだから新聞に頼るしかない。

 もちろん、それをまとめた形の雑誌ジャーナリズムもこの時代はすでに隆盛を迎えていたのだが、とりあえず頼るべきは新聞である。ここのところ日本の義務教育制度が優れていたことの証でもあるのだが、多くの新聞はルビ(読み仮名)入りで頭のよい子なら、いまの中学生程度でもかなり時事問題を理解できた。

 この時代、高校に行くことができるのはエリートである。男子に限っての話だが、一般的には中学を卒業すれば「大人」の扱いであった。商家に奉公し小僧になり、あるいは職人の弟子になれば一人前同然だ。今年生誕百年を迎えた作家池波正太郎(1923年〈大正12〉生)は、小学校を出た後すぐに「株式取引店(証券会社)」に奉公に出て独立して生計を立てていた。

 こうした「庶民(男子のみ)」が国政選挙権を得ていくのがいわゆる「大正デモクラシー」の流れなのだが、彼らの情報源であり国政に対する判断材料であったのが新聞であったことは、この時代を研究するのに常に頭のなかに入れておかねばならない事実である。雑誌も、いわゆる大衆読物は別にして『中央公論』などいわゆるオピニオン雑誌もあったが、それを購読するのはインテリ層で大衆に圧倒的な影響力があったのはやはり新聞である。だからこそ前回の終わりで述べたように、この三つの事件について真相はどうであったか、日本の新聞がそれを正確に報道していたかが、きわめて重要なのである。

 しかし、この三つの事件、そしてそれが原因で起こった阿部守太郎暗殺事件はあまり有名では無い。実際、多くの読者にとっては初耳ではないだろうか。そんな事件があったのか、知らなかった、という感覚である。もちろんこの『逆説の日本史』シリーズの愛読者には歴史に造詣の深い人も大勢いるから、そんなことは知っていたと言う人もいるかもしれない。しかし、この問題に関する研究書や論文が少ないのもまた事実である。

 そのなかで比較的まとまっているのが、『山本内閣の基礎的研究』(山本四郎著 京都女子大学刊)である。著者山本四郎(1920?2022年)は、戦前に陸軍士官学校を卒業し、戦後は京都大学文学部史学科卒業後ながらく神戸女子大学教授を務め、同大名誉教授となった。専門は日本近代史だが、『山本内閣の基礎的研究』の第三章において、この三事件とくに漢口と南京の事件についてさまざまな角度から検証している。

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