「幸せだと思ったことは一度もない」
2021年に出版した前述の著書のなかで、彼女は両親に関する頭の痛い問題を明かしている。
「子供時代は電気代の支払いが滞って電気を止められてしまうほど困窮し、自宅に借金取りが押しかけるほど。そのたびに母親が居留守を使い、ひなのさんが代わりに『お母さんはいません』と言っていたという過去を明かしていました。彼女が芸能界入りしてからは両親が給料を管理し、広さ200平方メートルの豪邸を借りて住んでいたそうです。
あるとき貯金の残高を確認すると、ほとんど残っていなかった。それを知ったひなのさんが給料の振込先を親の口座から自分の口座に変えると、両親は彼女に生活費をせがむようになりました。ひとり暮らしをする彼女の家を、母親から命令された父親が訪れて、お金を無心することもしばしばあったそうです」(前出・芸能関係者)
『婦人公論』(2021年10月26日)のインタビューでも過去を振り返り、こう語っている。
《10代から20代まで傷つくことだらけ。私の人生は、常に誰かのものだった。テレビやスタジオで笑顔を見せていても、自分を幸せだと思ったことは一度もありませんでした》
テレビや雑誌で見せる、明るく不思議なキャラクターは彼女が必死につくりあげた、もうひとりの自分だったのかもしれない。デビュー当時、彼女は芸名である「吉川ひなの」をたびたび本名だと話し、本を出版するまでは母親についてネガティブな発言をすることもなかった。
実際に、17才の彼女は本誌・女性セブン1997年6月26日号のインタビューで母親について「すっごい自慢です」としてこう語っていた。
《ママは庭の花を花瓶に生けたり、お風呂にバラの花びらをうかべちゃったりとか、自分が女であることをすごいうれしく思っているの。だからひなのも、女に生まれたことがすっごくうれしい。ママだけじゃなく、家族全員、もう自慢ですよ。すばらしく恵まれたところにいると毎日思っております》
母親を自慢していた彼女がなぜ、一転して母親を断罪するような本を書いたのか。そこにはひなのが抱え続けてきた「闇」があった。
「彼女のお母さんに対する感情は非常に複雑で、一口では言い表せないようです。これまでお母さんに嫌われたくないとの思いもあり心にフタをして、心の奥深くにある問題から目をそらしていましたが、ひなのさん自身も3人の子を持つ母親になった。
お母さんが亡くなってからある程度の時間が経過したこともあり、“パンドラの箱”を開ける決心がついたのでしょう。新著ではそんな彼女の心の葛藤がありのままに書かれているみたいです」(前出・ひなのの知人)
『Dear ママ』でひなのは、自身が宗教二世であることを初めて明かしているという。
「ひなのさんの母親は、19世紀末にアメリカで始まったキリスト教系の宗教団体の信者でした。日本の信者数は約21万人といわれ、著名な歌手や漫画家が信者と報じられたことがあります。
この宗教団体は宗教上の教義で誕生日会を禁じています。吉川さんは過去にインスタグラムに『子どものころ家族にお誕生日をお祝いしてもらったことが一度もなくて、それがすーごく寂しかった』と書いたことがあり、注目を集めたことがありました」(芸能ジャーナリスト)