松田優作を意識
阿部が芸能界に足を踏み入れたのは1985年。中央大学在学中に賞品のマツダ・ファミリア目当てで「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募すると、見事優勝を果たした。以降、モデルとして活動し、ファッション誌『メンズノンノ』では創刊号から3年以上も表紙を飾った。
時代はバブルの絶頂期。スタイル抜群でハンサムな「阿部ちゃん」は、絶大な人気を誇った。
そんな阿部は、元々大学を卒業したら就職するつもりでいた。だが、1987年に東映の映画プロデューサーから『はいからさんが通る』へのオファーがあり、出演を決める。役どころは南野演じる主人公の許嫁だった。
撮影所には愛車のファミリアで通っていたという。南野が語る。
「初めてお会いしたのは、私が役作りのためにロングヘアを切った“断髪式”でした。阿部さんにも髪をカットしてもらいましたが、緊張のせいか髪がひっぱられて少し痛かったのを覚えています(笑)。愛車でどんな曲を聴いているのか興味があり、車内のカセットテープのボックスをのぞいたこともありました。当時の阿部さんは普段の会話の言葉は少なかったけれど、天然的な面白さがあるハニカミ屋さんでした」
晴れて俳優デビューを果たした阿部にはCMのオファーが殺到。1988年にはアイドルとしてアルバムをリリースした。
俳優の小沢仁志(61)は、当時の阿部の印象をこう振り返る。
「初めて会ったのは寛がまだモデルをやりながら役者の仕事を始めた頃で、俺の舞台現場に俳優の加藤雅也(60)と一緒に来たんだ。松田優作さんを少し意識したような感じのパーマをかけていて、腕を組んで壁に寄りかかっていた。トンガっていた印象だったね。俺が役者の先輩だからって媚びへつらうわけでもなく、平然としていた。その頃から雰囲気があったな」
(後編に続く)
※週刊ポスト2023年9月8日号