順位戦当日、将棋会館に向かう大山(1991年)
その6年後(1992年)、大山先生も69歳で鬼籍に入る。闘病生活を続けながら亡くなる日までA級の地位を文字通り死守し、将棋の普及にも尽力した大山先生の生涯は、まさに将棋界の「伝説」だと思う。
僕の自宅玄関には、いまも大山先生の「形見の品」が飾ってある。連盟と『近代将棋』が1980年に企画した「大山名人と行く船の旅」で、大山先生は九州の宮崎を訪れた。そのとき「重いからあんたにあげる」と押し付けられた〝埴輪〟がそれだ。
大山先生が亡くなってから30年以上の時が流れた。しかし、僕の心のなかにはいまも豪放磊落な大山先生が生きている。
※弦巻勝『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
弦巻勝(つるまき・まさる)/1949年、東京都生まれ。日本写真専門学校を卒業後、総合週刊誌のカメラマンに。1970年代から将棋界の撮影を始め、『近代将棋』『将棋世界』など将棋専門誌の撮影を担当する。大山康晴、升田幸三の時代から中原誠、米長邦雄、谷川浩司、羽生善治、そして藤井聡太まで、半世紀にわたってスター棋士たちを撮影した。“閉鎖的”だった将棋界の奥深くに入り込み、多くの棋士たちと交流。対局風景だけでなく、棋士たちのプライベートな素顔を写真に収めてきた。日本写真家協会会員。
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